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コラム


防研セミナー 時代を読み解く シリーズ<44> 前進根拠地の戦略的重要性
日露戦争における日本海軍のロジスティクス 今月の講師 石原明徳2海佐 防衛研究所 戦史研究センター 国際紛争史研究室所員 1971(昭和46)年生まれ、千葉県出身。立命館大学文学部卒業、93年海自入隊(一般幹部候補生44期)。経理・補給幹部。指揮幕僚課程修了、放送大学大学院修士課程修了、修士(学術)。第3術科学校教官、海自幹部学校教官などを経て、2022年から現職。今年4月から海幕総務課海自75年史編さん室兼務。専門は防衛装備移転史、軍事ロジスティクス史。最近の論文に「1950年代の台湾向け魚雷艇移転とその背景について」(『戦史研究年報』第27号、24年3月)、「ACSAの変遷―日米2国間から多国間へ―」(『海幹校戦略研究』第7巻2号、18年1月)などがある。 補給や支援拠点として柔軟展開 1904年に勃発した日露戦争における日本海軍の戦略意義は、大陸に展開する陸軍の兵站線確保にあった。これを達成するための海上作戦の継続が、日露戦争における日本海軍ロジスティクスの目的であったと言えよう。


朝雲寸言(2025年8月21日付)
1918年夏の米騒動は、米価高騰に苦しむ富山県の女性らのささやかな抗議行動が発端だった。「越中女房一揆」として新聞で全国に伝わると、たった1カ月で数百万人を巻き込む騒擾(そうじょう)事件に発展する。 8月12日夜、神戸市の総合商社が「米買い占め、米価つり上げの元凶」とみなされ、群衆に囲まれて焼き打ちに遭う。後に作家の城山三郎さんがテン末を調べ、『鼠(ねずみ) 鈴木商店焼打ち事件』を書いた。真相は意外なものだった。 鈴木商店は、買い占めどころか逆に安い海外米を大量に輸入して、政府の米価抑制策に協力していたのである。「鈴木としては、感謝されていいという気持ちだったろう」と城山さん。 一部の新聞はそれを知りながら、暴利をむさぼる「奸商(かんしょう)」(ずるい商人)のように書き立てた。鈴木の背後にいた藩閥内閣を揺さぶる狙いがあったというが、虚実取り混ぜたセンセーショナルな報道で大衆をあおったことは将来に禍根を残した。 新聞が国民を戦争に駆り立てるようになるのは、約20年後のことである。少年兵で敗戦を迎え、日本がどこで道を誤ったかを問い続けた城山さんは、こ


朝雲寸言(2025年8月14日付)
じりじりと真夏の太陽が照りつける午後、近くの公園で水遊びする子供たちの歓声を聞きながら流れる水の先にある小さな池にたどり着いた。 淀(よど)みが作る湿地に蓮(はす)の花が群生している。ここに来ると「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という一文を思い出す。泥の中から生まれながら真っすぐに伸びて白や桃色の花を咲かせる蓮の花は酷暑の中に散歩する際の一服の清涼剤である。 日本の8月は慰霊と鎮魂の月である。先の大戦の末期に米国は東京大空襲に引き続き日本の地方都市を標的とした大規模な戦略爆撃を行った。住宅地や商業地を破壊して国民の士気を喪失させる無差別の都市爆撃であった。 8月1日の夜、米軍は新潟県長岡市を取り囲むように2千発以上の大型焼夷(しょうい)弾を投下し、それを目印として後続の大編隊が4千発以上の集束焼夷弾(焼夷弾38発を内包)で爆撃した。長岡市街地の約8割が焼失、1480人余りの市民が死亡した。 長岡の夏といえば花火であろう。毎年花火大会の前日である8月1日の夜に長岡市は3発の尺玉を打ち上げる。白一色の3つの大輪は空襲で失った多くの市民への慰霊であり、


朝雲寸言(2025年8月7日付)
長野県御代田町(みよたまち)のケアマネジャー美斉津(みさいづ)康弘さん(52)の経歴は波乱に満ちている。福井市出身。ブルーインパルスに憧れて防衛大学校(39期)から航空自衛隊に進むが、視力検査でパイロット不適格に。 退職し、防大時代に打ち込んだアメリカンフットボールの実業団チームの門をたたく。ランニングバックとして活躍し、2003年にチームはリーグ優勝、自身も年間MVPに輝く。100メートルを10秒6で駆け抜けた「RB加畑」(加畑は旧姓)は、引退から20年経った今もファンの間で伝説的な存在だ。 華麗なキャリアの一方、元ヤングケアラーの顔をもつ。小学5年の時、母親が若年性認知症になった。鏡に向かって独り言をつぶやき、家事もしない。会社を営む父親は多忙で、自分が面倒を見ないと家族が壊れると思った。 学校から帰ると夕食のインスタントラーメンを作り、排せつの世話も。いら立って突き飛ばしたこともある。「誰にも相談できないのが一番つらかった」。 高校1年の夏、母は入院し、やっと解放された。すると今度は冷たく当たった罪悪感にさいなまれるようになる。30歳を過ぎ
第115回 習近平主席が恐れるもの ―和平演変―
中国の指導者、習近平国家主席にとってもっとも重要な使命は中国共産党の一党支配の堅持でしょう。もちろん人民の生活の安定・向上も重視していますが、それは目的ではなく体制維持のための手段ではないかと見えます。


朝雲寸言(2025年7月31日付)
先日、とある弁護士の方々の勉強会に招かれて台湾有事について話す機会があった。中国と台湾を巡る近年の情勢やもし中国が台湾を軍事的に侵攻するとすれば、どのような状況になるかを知りたいというのが勉強会の目的であった。 中台紛争における米国の立場と極東アジアにおける配置、そして我が国の南西諸島対処を中心とした防衛力整備の現況を踏まえた上で彼らに我が国の白紙的な選択肢を提示した。 (1)武力行使を含め台湾を防衛する米国を支援する(2)武力行使せず米軍の行動を支援する(3)人道支援や救難活動、経済封鎖など我が国独自の支援活動を行う(4)中立を宣言し我が国領域を保全するという4つの選択肢である。予想の範囲内とはいえ参加者のほとんどが(4)の中立を選んだのはさすがに驚いた。 そこで視点を変えて中国の立場から日本と米国を見ることを提案した。あらゆる手段を尽くして「ひとつの中国」を達成することが国家目標である中国にとって日本と米国は不可分の脅威、すなわち敵なのであると。 中立という選択肢は「力による現状変更」を暗黙に認めることと同じではないかと問いかけた。彼らの底流


防研セミナー 時代を読み解く シリーズ<43> インドネシアのプラボウォ
政権下における政軍関係 今月の講師 富川英生氏 防衛研究所 理論研究部 社会・経済研究室長 1971(昭和46)年生まれ、兵庫県出身。千葉大学法経学部卒業、東京大学大学院経済学研究科修士課程修了(経済修士)、同博士課程中退、豪国防大学防衛戦略研究課程修了、英シェフィールド大学東アジア研究課程修了(修士・東アジア研究)。2003年防衛研究所。専門は東南アジア諸国の経済・産業政策で、グローバルな防衛装備ビジネスや国際安全保障の経済的側面なども研究。主な研究論文に「国防イノベーション・エコシステムのマネジメント」『国際安全保障』第49巻第1号(21年6月)など。 懸念の声上がる「軍の二重機能」 2025年3月、インドネシアの国民会議(下院議会に相当)は「インドネシア国軍に関する法」の改正案を可決した。


朝雲寸言(2025年7月17日付)
日本企業のたくましさ、したたかさを久しぶりに見た気がする。日本製鉄による米鉄鋼大手USスチールの完全子会社化である。民主、共和2人の大統領の反対を覆しての大逆転劇に、世界も目を見張ったことだろう。 勝因は不退転の決意と硬軟織り交ぜた巧みな交渉術にあった。バイデン氏の買収中止命令に一歩も引かず、逆に「不当な政治介入だ」と大統領を提訴した。 トランプ政権に代わるや、今度は「米国の製造業の復活につながる」とくすぐり、110億ドル(約1・6兆円)の巨額投資カードを切った。大詰めでの黄金株の提案は、支持者らに「米国支配」をアピールしたいトランプ氏への助け舟という見方もある。 日鉄は1901年設立の官営八幡製鉄所を源流に持つ。その20日後に鉄鋼王カーネギーらが立ち上げたのがUSスチールだ。共に国名を冠したライバル同士が手を組むのは、世界の粗鋼生産能力の半分を占める中国勢に対抗するためだ。 中国初の近代的製鉄所は40年前に新日鉄(日鉄の前身)などの全面支援で誕生し、山崎豊子さんの小説『大地の子』のモデルにもなった。それが今や、日米を脅かす存在になったのだから皮
第114回 中国政治体制の弱点
我が国の安全保障を考える上での最大の課題は台頭する中国にどう向き合うのかだと言われて、かなりの歳月が経過しています。専制主義的な体制をしく中国のような国であれば、その指導者がどういう人物であるのか見極めることが重要ですが、これまで習近平について専門家による本格的な分析は少なかったように思います。しかし最近、大東文化大学の鈴木隆教授による『習近平研究』という研究書が出版されました。


朝雲寸言(2025年7月10日付)
陸軍と海軍の仲が悪いという話は昔からよく言われたことである。しかし両者の仲が悪い理由を論理的に説明するものは多くない。 我が国の場合、それぞれの生まれが異なっている。旧陸軍の起源は薩摩・長州などを中心とする倒幕軍であり、旧海軍の起源はペリー来航後に創設された長崎海軍伝習所である。 数度の戦争を経て、組織が大きくなり限られた国防予算の配分を巡って対立していたことも不仲説の一因と言われている。戦場の違いにより兵器体系が異なるのは当然だが、用語も異なれば数字や時刻の呼称も異なっていた。 米国では19世紀末の米西戦争以来、統合の必要性が叫ばれていたが1986年のゴールドウォーター・ニコルズ法の成立まで多くの年月が必要だった。 そんな統合における先輩ともいえる米軍が日本の統合作戦を見て驚きの声を上げたという。東日本大震災での統合任務部隊の災害派遣時のことである。統合作戦が基本とされてわずか数年、こんな短期間でどうやって日本は統合の実を上げることができたのかと。 その答えのひとつは教育、すなわち「人」である。それをもっとも象徴する組織が防衛大学校であろう。2


朝雲寸言(2025年7月3日付)
ホルムズ海峡はペルシャ湾とオマーン湾の間にあって北にイラン、南にオマーンのムサンダム半島に挟まれている。水深は深いところで100メートルと浅く、最も狭いところで幅33キロしかない。 世界の石油のほぼ3分の1がこの海峡からインド洋、マラッカ海峡を通って東アジアに輸送されている。1970年代、我が国は2度のオイルショックを経験した。1度目は第4次中東戦争で、2度目はイラン革命による原油供給の不安定さが原因だった。 エネルギーのほとんどを中東地域に依存している我が国にとって中東で何か起きれば国民の生活に直接的かつ深刻な影響を与えることは大きな教訓となった。 イスラエルが核開発を推し進めるイランを空爆しイランが報復する間隙(かんげき)を縫うように米国のB2爆撃機がイランの3カ所の核開発施設を空爆した。バンカーバスターと呼ばれる精密誘導爆弾GBU57が実戦で初めて使用されたという。 米国の軍事力の行使は結果としてイスラエルとイランの間に停戦をもたらした。紛争を止めさせ核開発をとん挫させたものが物理的な軍事力の行使であることを、平和を叫び戦争に反対する人々は


朝雲寸言(2025年6月26日付)
新ローマ教皇の誕生で注目されたコンクラーベは、ラテン語で「鍵とともに」を意味する。始まりは13世紀。18人の枢機卿がイタリア派とフランス派に分かれて対立し、教皇不在が3年も続く異常事態に陥る。 業を煮やした市民らは枢機卿たちを宮殿に閉じ込めて鍵をかけ、パンと水以外の持ち込みを禁じて妥協を迫った。神秘のベールに包まれた儀式だが、こんな人間臭い由来を聞くと信者ならずとも親近感がわいてくる。 もっとも800年後の教皇選びも俗世と無縁ではないらしい。アルゼンチン出身のフランシスコ前教皇は欧州偏重のバチカン脱却を唱え、アジア・アフリカなどの新興国から多くの枢機卿を任命した。南米ペルーで地道な活動をしていたレオ14世が約8割もの圧倒的な支持を集めたのも、こうしたグローバルサウス票の後押しがあったからだろう。 片や、前教皇の側近で本命視されていたイタリアのパロリン枢機卿は、中国寄りの姿勢が敬遠されたと聞く。グローバルサウスの台頭といい、中国への警戒感といい、まさに国際政治の縮図である。 新教皇が手本とするレオ13世(在位1878~1903年)は、労働者の権利擁


防研セミナー 時代を読み解く シリーズ<42> 北朝鮮の新たな核ドクトリン
今月の講師 浅見明咲氏 防衛研究所 地域研究部 アジア・アフリカ研究室 研究員 1991(平成3)年生まれ、埼玉県出身。国際教養大学国際教養学部卒業、韓国ソウル国立大学国際大学院修士課程修了。2020年防衛研究所入所。専門分野は北朝鮮の外交軍事政策、米韓同盟、日米韓安保協力。主な業績として「米韓同盟と韓国の選択-拡大抑止と核保有に関する考察」(N1DSコメンタリー第358号)、「北朝鮮の軍事態勢-金正恩政権における核・ミサイルと通常戦力の変化およびその狙い-」(『安全保障戦略研究』第2巻第1号)などがある。 紛争主導権握る新たな核戦略に 2022年、北朝鮮は、新たな核ドクトリンである「朝鮮民主主義人民共和国核武力政策について(以下、核武力政策)」を採択した。


朝雲寸言(2025年6月19日付)
広島県福山市の山中で、住民が大規模な石積みの構造物を見つけたのは2009年のこと。専門家に調べてもらうと、江戸時代に造られた砂留(すなどめ)、つまり砂防ダムだと分かった。約1キロの谷沿いに大小36基が確認され、高さ18メートル弱、長さ約32メートルという巨大なものも。土木遺産「別所砂留」である。 岡山大の樋口輝久准教授(土木史)によると、一帯は今でこそ緑に覆われているが、江戸期は人口増加に伴う森林の乱開発ではげ山だった。大雨による土砂災害が頻発し、備後福山藩が集落や農地を守るために築いたという。「近世最大の砂防事業と言っていいでしょう」。 同様の土砂災害は全国的な問題だったらしく、幕府は早くも1666年に「諸国山川(さんせん)掟(おきて)」を発布し、草木の根の採取を禁止し、苗木の植え付けを奨励している。 別所砂留の状態は良好で、現在も砂防の役割を十分に果たしている。幾世代にもわたって維持・管理してきたのは住民たちだった。ところが近年は山林が放置され、その存在さえ忘れられていた。 再発見後、地元の人々は「別所砂留を守る会」を立ち上げ、ボランティアで


朝雲寸言(2025年6月12日付)
1991年、米国ベトナム退役軍人財団とドイツのNGOの合意が端緒となり、対人地雷禁止国際キャンペーンが発足、以後世界的な運動となった。その結果97年、対人地雷禁止条約が起草され99年3月に40カ国が批准して成立した。 我が国の対応は素早かった。当時の外務大臣の発意を受けて97年に署名、翌年に衆議院で批准された。防衛庁・自衛隊には何の相談もなかった。 対人地雷は非人道的な兵器と言われる。探知・処理が困難なばかりでなく戦争が終わった後で多くの民間人が被害に遭遇することから国際問題となっていた。自衛隊が初めて参加したカンボジアの国連平和維持活動(PKO)で懸念されていたのもカンボジア全土に残る地雷の存在だった。 現在、対人地雷禁止条約は164カ国が加盟している。しかし米国・ロシア・中国をはじめ紛争や対立に直面する32カ国が未署名である。 その後、米国は国際世論に応える形で加盟時期を明言せず条約に加盟する方針を表明し、今後20年ほどで対人地雷を使えなくする方針だと発表した。しかしロシアのウクライナ侵攻を受けて米国はウクライナに対人地雷を供与した。バルト3
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