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コラム


朝雲寸言(2025年9月18日付)
7月の参院選で女性の当選者は42人と過去最多だった。その多寡などの評価はさておき、日本の女性参政権は1945(昭和20)年12月の衆議院議員選挙法改正で初めて認められた。 この改正案に帝国議会で一人反対の論陣を張った衆院議員がいた。沖縄県出身の漢那(かんな)憲和(けんわ)(1877~1950年)である。法案には米軍統治下にあった同県民らの選挙権を停止する付則があり、それに抗議してのことだった。 戦争末期の沖縄戦では県民の4人に1人が犠牲になった。漢那はその惨状に触れ、「議会における県民の代表を失うことは、言語に絶する痛恨事であります」と切々と訴えている。 翌年の総選挙を経て新憲法を審議した国会には、沖縄県代表の姿はない。国民主権、憲法9条、女性参政権と、輝かしい民主化のスタートの陰にあったもう一つの現実である。 漢那は元海軍少将で、昭和天皇が皇太子時代に訪欧した際のお召し艦「香取」の艦長を務めた。国政に転じてからは軍部の独走を批判し、陸海軍大臣文官制を提唱。退役将官会から除名処分を受けている。戦後は沖縄の復帰運動に奔走した。 本土復帰して半世紀を


朝雲寸言(2025年9月11日付)
一定以上の年齢の米国人であれば、その時自分がどこにいて何をしていたかを覚えている出来事があるという。2001年9月11日早朝に起きた米国同時多発テロである。 それまで本土に武力攻撃されたことがなかった米国にとって9・11は想像を絶する衝撃の出来事だったのだ。あれから四半世紀近くが経過した。明確な根拠はないが現在の米国の混乱や衰退は9・11から始まったのだという見方がある。 20年以上にわたり米国が対テロ戦争に費やした経費や人材は膨大なものに上る。その努力に見合う成果があったかと問われると疑問が残る。 米国が世界中のテロ組織と戦っている間に超大国として本来向き合うべき脅威に対する姿勢がやや緩慢ではなかったという指摘はロシアのウクライナ侵攻や混乱の極みにある中東情勢を見る限り納得できる。 9・11によって日米の安全保障環境も大きく変化した。米国のアフガニスタンへの侵攻に際し我が国は対テロ特措法によって海自がインド洋で多国籍の艦船を支援し、イラク戦争ではイラク特措法によって陸・空自をイラクに派遣した。その延長線上に平和安全法制の成立があるともいえる。.


朝雲寸言(2025年9月4日付)
自民党は1955年、日本民主党と自由党が合流して結成された。左右社会党の統一に対抗するためだったが、内輪もめばかりで、当事者たちも「10年もてば」と嘆くほどだった。 正式名「自由民主党」は2つの党名を合体しただけと思っていたら、実は公募方式が採られたという。最多は「日本保守党」だったが、「選挙ウケしない」と議員らに不評で、自由と民主主義の理想をうたった名称が採用された。そのおかげか、世界でもまれな長期政権を実現する。 政党の離合集散が激しい昨今はこんな問題も。立憲民主党と国民民主党は共に旧民主党を源流とし、衆参比例区の略称は同じ「民主党」。有権者には紛らわしいが、広く浸透しているから双方譲らない。ご苦労なのは各地の選挙管理委員会で、選挙のたびに各々の有効票の割合に応じて「民主党」票を割り振っている。 7月の参院選では参政党など新興勢力が躍進する一方、自民党などの老舗は軒並み苦戦した。中でも「がけっぷち」だったのが社会民主党(社民党)だ。旧社会党の流れをくむ名門だが、今回、得票率が2%を切れば公職選挙法上の政党要件を失うところだった。...


第116回 力の使用における節度 ―天才は止まるべきところを知っている―
昨年秋にドイツの宰相ビスマルクの終焉(しゅうえん)の地を訪れたことからイギリスの著名な歴史家A・J・Pテイラーが著したビスマルクの伝記を読んでみました。伝記の終わりの部分でテイラーがビスマルクに対して秀逸な評価をしていますので紹介します。それは次の通りです。


朝雲寸言(2025年8月28日付)
先日エレベーターで外国人とおぼしき若い男女と遭遇した。服装や容姿から普通の日本人との違いはない。しかしどこか違和感があり日本人ではないと確信した。 街を歩けば多くの外国人を見かける。アジアからの旅行者は多様だが日常の所作が似ているようで少し違う、そんな違和感を持つ人も多いのではないか。 我が国の在留外国人の数は年々増加している。昨年度の法務省の資料によれば、旅行者や短期の訪日外国人を除いて約360万人の外国人が日本で暮らしているという。その上位の国別の人数は次の通りだ。4位フィリピン34万人、3位韓国41万人、2位ベトナム60万人そして1位は中国84万人である。 さらに都道府県別の在留外国人の上位を見ると4位神奈川県28万人、3位大阪府31万人、2位愛知県32万人、1位は東京都で70万人である。 交通手段や通信インフラの発達によって我が国の国際化は一層進展しており、地域社会と増え続ける在留外国人との軋轢(あつれき)なども政治的な争点として顕在化しつつある。 欧州や米国では、移民排斥運動や不法移民の取り締まりの動きがある。公式には移民政策を採らない


防研セミナー 時代を読み解く シリーズ<44> 前進根拠地の戦略的重要性
日露戦争における日本海軍のロジスティクス 今月の講師 石原明徳2海佐 防衛研究所 戦史研究センター 国際紛争史研究室所員 1971(昭和46)年生まれ、千葉県出身。立命館大学文学部卒業、93年海自入隊(一般幹部候補生44期)。経理・補給幹部。指揮幕僚課程修了、放送大学大学院修士課程修了、修士(学術)。第3術科学校教官、海自幹部学校教官などを経て、2022年から現職。今年4月から海幕総務課海自75年史編さん室兼務。専門は防衛装備移転史、軍事ロジスティクス史。最近の論文に「1950年代の台湾向け魚雷艇移転とその背景について」(『戦史研究年報』第27号、24年3月)、「ACSAの変遷―日米2国間から多国間へ―」(『海幹校戦略研究』第7巻2号、18年1月)などがある。 補給や支援拠点として柔軟展開 1904年に勃発した日露戦争における日本海軍の戦略意義は、大陸に展開する陸軍の兵站線確保にあった。これを達成するための海上作戦の継続が、日露戦争における日本海軍ロジスティクスの目的であったと言えよう。


朝雲寸言(2025年8月21日付)
1918年夏の米騒動は、米価高騰に苦しむ富山県の女性らのささやかな抗議行動が発端だった。「越中女房一揆」として新聞で全国に伝わると、たった1カ月で数百万人を巻き込む騒擾(そうじょう)事件に発展する。 8月12日夜、神戸市の総合商社が「米買い占め、米価つり上げの元凶」とみなされ、群衆に囲まれて焼き打ちに遭う。後に作家の城山三郎さんがテン末を調べ、『鼠(ねずみ) 鈴木商店焼打ち事件』を書いた。真相は意外なものだった。 鈴木商店は、買い占めどころか逆に安い海外米を大量に輸入して、政府の米価抑制策に協力していたのである。「鈴木としては、感謝されていいという気持ちだったろう」と城山さん。 一部の新聞はそれを知りながら、暴利をむさぼる「奸商(かんしょう)」(ずるい商人)のように書き立てた。鈴木の背後にいた藩閥内閣を揺さぶる狙いがあったというが、虚実取り混ぜたセンセーショナルな報道で大衆をあおったことは将来に禍根を残した。 新聞が国民を戦争に駆り立てるようになるのは、約20年後のことである。少年兵で敗戦を迎え、日本がどこで道を誤ったかを問い続けた城山さんは、こ


朝雲寸言(2025年8月14日付)
じりじりと真夏の太陽が照りつける午後、近くの公園で水遊びする子供たちの歓声を聞きながら流れる水の先にある小さな池にたどり着いた。 淀(よど)みが作る湿地に蓮(はす)の花が群生している。ここに来ると「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という一文を思い出す。泥の中から生まれながら真っすぐに伸びて白や桃色の花を咲かせる蓮の花は酷暑の中に散歩する際の一服の清涼剤である。 日本の8月は慰霊と鎮魂の月である。先の大戦の末期に米国は東京大空襲に引き続き日本の地方都市を標的とした大規模な戦略爆撃を行った。住宅地や商業地を破壊して国民の士気を喪失させる無差別の都市爆撃であった。 8月1日の夜、米軍は新潟県長岡市を取り囲むように2千発以上の大型焼夷(しょうい)弾を投下し、それを目印として後続の大編隊が4千発以上の集束焼夷弾(焼夷弾38発を内包)で爆撃した。長岡市街地の約8割が焼失、1480人余りの市民が死亡した。 長岡の夏といえば花火であろう。毎年花火大会の前日である8月1日の夜に長岡市は3発の尺玉を打ち上げる。白一色の3つの大輪は空襲で失った多くの市民への慰霊であり、


朝雲寸言(2025年8月7日付)
長野県御代田町(みよたまち)のケアマネジャー美斉津(みさいづ)康弘さん(52)の経歴は波乱に満ちている。福井市出身。ブルーインパルスに憧れて防衛大学校(39期)から航空自衛隊に進むが、視力検査でパイロット不適格に。 退職し、防大時代に打ち込んだアメリカンフットボールの実業団チームの門をたたく。ランニングバックとして活躍し、2003年にチームはリーグ優勝、自身も年間MVPに輝く。100メートルを10秒6で駆け抜けた「RB加畑」(加畑は旧姓)は、引退から20年経った今もファンの間で伝説的な存在だ。 華麗なキャリアの一方、元ヤングケアラーの顔をもつ。小学5年の時、母親が若年性認知症になった。鏡に向かって独り言をつぶやき、家事もしない。会社を営む父親は多忙で、自分が面倒を見ないと家族が壊れると思った。 学校から帰ると夕食のインスタントラーメンを作り、排せつの世話も。いら立って突き飛ばしたこともある。「誰にも相談できないのが一番つらかった」。 高校1年の夏、母は入院し、やっと解放された。すると今度は冷たく当たった罪悪感にさいなまれるようになる。30歳を過ぎ
第115回 習近平主席が恐れるもの ―和平演変―
中国の指導者、習近平国家主席にとってもっとも重要な使命は中国共産党の一党支配の堅持でしょう。もちろん人民の生活の安定・向上も重視していますが、それは目的ではなく体制維持のための手段ではないかと見えます。


朝雲寸言(2025年7月31日付)
先日、とある弁護士の方々の勉強会に招かれて台湾有事について話す機会があった。中国と台湾を巡る近年の情勢やもし中国が台湾を軍事的に侵攻するとすれば、どのような状況になるかを知りたいというのが勉強会の目的であった。 中台紛争における米国の立場と極東アジアにおける配置、そして我が国の南西諸島対処を中心とした防衛力整備の現況を踏まえた上で彼らに我が国の白紙的な選択肢を提示した。 (1)武力行使を含め台湾を防衛する米国を支援する(2)武力行使せず米軍の行動を支援する(3)人道支援や救難活動、経済封鎖など我が国独自の支援活動を行う(4)中立を宣言し我が国領域を保全するという4つの選択肢である。予想の範囲内とはいえ参加者のほとんどが(4)の中立を選んだのはさすがに驚いた。 そこで視点を変えて中国の立場から日本と米国を見ることを提案した。あらゆる手段を尽くして「ひとつの中国」を達成することが国家目標である中国にとって日本と米国は不可分の脅威、すなわち敵なのであると。 中立という選択肢は「力による現状変更」を暗黙に認めることと同じではないかと問いかけた。彼らの底流


防研セミナー 時代を読み解く シリーズ<43> インドネシアのプラボウォ
政権下における政軍関係 今月の講師 富川英生氏 防衛研究所 理論研究部 社会・経済研究室長 1971(昭和46)年生まれ、兵庫県出身。千葉大学法経学部卒業、東京大学大学院経済学研究科修士課程修了(経済修士)、同博士課程中退、豪国防大学防衛戦略研究課程修了、英シェフィールド大学東アジア研究課程修了(修士・東アジア研究)。2003年防衛研究所。専門は東南アジア諸国の経済・産業政策で、グローバルな防衛装備ビジネスや国際安全保障の経済的側面なども研究。主な研究論文に「国防イノベーション・エコシステムのマネジメント」『国際安全保障』第49巻第1号(21年6月)など。 懸念の声上がる「軍の二重機能」 2025年3月、インドネシアの国民会議(下院議会に相当)は「インドネシア国軍に関する法」の改正案を可決した。


朝雲寸言(2025年7月17日付)
日本企業のたくましさ、したたかさを久しぶりに見た気がする。日本製鉄による米鉄鋼大手USスチールの完全子会社化である。民主、共和2人の大統領の反対を覆しての大逆転劇に、世界も目を見張ったことだろう。 勝因は不退転の決意と硬軟織り交ぜた巧みな交渉術にあった。バイデン氏の買収中止命令に一歩も引かず、逆に「不当な政治介入だ」と大統領を提訴した。 トランプ政権に代わるや、今度は「米国の製造業の復活につながる」とくすぐり、110億ドル(約1・6兆円)の巨額投資カードを切った。大詰めでの黄金株の提案は、支持者らに「米国支配」をアピールしたいトランプ氏への助け舟という見方もある。 日鉄は1901年設立の官営八幡製鉄所を源流に持つ。その20日後に鉄鋼王カーネギーらが立ち上げたのがUSスチールだ。共に国名を冠したライバル同士が手を組むのは、世界の粗鋼生産能力の半分を占める中国勢に対抗するためだ。 中国初の近代的製鉄所は40年前に新日鉄(日鉄の前身)などの全面支援で誕生し、山崎豊子さんの小説『大地の子』のモデルにもなった。それが今や、日米を脅かす存在になったのだから皮
第114回 中国政治体制の弱点
我が国の安全保障を考える上での最大の課題は台頭する中国にどう向き合うのかだと言われて、かなりの歳月が経過しています。専制主義的な体制をしく中国のような国であれば、その指導者がどういう人物であるのか見極めることが重要ですが、これまで習近平について専門家による本格的な分析は少なかったように思います。しかし最近、大東文化大学の鈴木隆教授による『習近平研究』という研究書が出版されました。


朝雲寸言(2025年7月10日付)
陸軍と海軍の仲が悪いという話は昔からよく言われたことである。しかし両者の仲が悪い理由を論理的に説明するものは多くない。 我が国の場合、それぞれの生まれが異なっている。旧陸軍の起源は薩摩・長州などを中心とする倒幕軍であり、旧海軍の起源はペリー来航後に創設された長崎海軍伝習所である。 数度の戦争を経て、組織が大きくなり限られた国防予算の配分を巡って対立していたことも不仲説の一因と言われている。戦場の違いにより兵器体系が異なるのは当然だが、用語も異なれば数字や時刻の呼称も異なっていた。 米国では19世紀末の米西戦争以来、統合の必要性が叫ばれていたが1986年のゴールドウォーター・ニコルズ法の成立まで多くの年月が必要だった。 そんな統合における先輩ともいえる米軍が日本の統合作戦を見て驚きの声を上げたという。東日本大震災での統合任務部隊の災害派遣時のことである。統合作戦が基本とされてわずか数年、こんな短期間でどうやって日本は統合の実を上げることができたのかと。 その答えのひとつは教育、すなわち「人」である。それをもっとも象徴する組織が防衛大学校であろう。2
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