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コラム


第118回 米国の対日石油禁輸を再考する 官僚組織の中で指導者の統制を貫徹することは容易ではない
前回の連載では、1941年の米国の対日石油禁輸措置がどうして日本の真珠湾攻撃につながったのかについて青山学院大学の土山實男教授の著書を基に説明しましたが、土山がその著書で引用している米国の歴史家ジョナサン・アトリーの『GOING TO WAR WITH JAPAN』という本には、驚くべき記述があります。それは、ルーズベルト大統領は日本に対して、石油の禁輸を発動したが、輸出制限であり全面禁輸などするつもりはなかったというものです。


防研セミナー 時代を読み解く シリーズ<46> プーチンのロシア
巧みな政権人事・手腕で体制構築 今月の講師 長谷川雄之氏 防衛研究所 地域研究部 米欧ロシア研究室 主任研究官 1988(昭和63)年生まれ、宮城県出身。上智大学外国語学部ロシア語学科卒業、東北大学大学院文学研究科歴史科学専攻博士後期課程修了。博士(学術)。日本学術振興会特別研究員PD、広島市立大学広島平和研究所協力研究員などを経て、2018年から防衛研究所。専門は現代ロシア政治・安全保障研究、ロシア地域研究。主な業績として、共著『現代ロシア政治』(法律文化社、23年)、単著『ロシア大統領権力の制度分析』(慶應義塾大学出版会、25年)などがある。 混乱期ロシアと「超大統領制」 1991年12月のソ連解体により、ロシア国内の政治・経済・社会情勢は急速に不安化した。


朝雲寸言(2025年10月30日付)
10月24日は「国連の日」である。1945年のこの日に国際連合憲章が発効して国際連合が正式に発足したことに因(ちな)んでいる。 創設から80年。しかし今、国連は冬の時代を迎えている。その要因の第1は安全保障理事会の機能不全であろう。創設当時から指摘されてきた構造的欠陥がロシアのウクライナ侵攻や中東のパレスチナ問題で改めて浮き彫りとなった。 常任理事国が拒否権を発動すれば安保理は何も決められず国連は動けない。ソ連崩壊後の湾岸危機などで国連が主導的に国際紛争を解決してきた頃とは雲泥の差である。 国連低迷の要因の第2は行き過ぎたリベラリズムである。リベラリズムが標榜(ひょうぼう)する自由や公平性、個人の尊厳や多元性が過激なナショナリズムや自国優先の政策を助長し国家の対立を深めているというのだ。 そもそも国際連合は国際協調による平和というリベラリズムの理想を体現する組織である。しかし実態は国際社会の現実と理想との間で常に揺れ動いているのである。 「私たちが直面する世界の荒廃はリベラルの失敗ではなくその成功の証しなのだ」という趣旨の書籍が注目を集めている。


朝雲寸言(2025年10月23日付)
被害妄想に取りつかれた米軍の司令官がソ連への水爆投下を命じる。全面戦争を恐れた大統領が中止命令を出すが、1機だけ連絡のつかない爆撃機が――。スタンリー・キューブリック監督の映画「博士の異常な愛情」(1964年)は、核抑止論の危うさを皮肉ったブラックコメディーの傑作とされる。 実際に「ニアミス」は何度もあった。79年、就寝中のブレジンスキー米大統領補佐官のもとに「ソ連の核ミサイル250発が米国に発射された」と報告が入る。第2報は2200発に増えた。カーター大統領に全面報復を進言しようとした時、3回目の電話が鳴った。「システムエラーでした」。 83年には、ソ連の防空司令部が米国から核ミサイル5発が発射されたことを探知。直ちにクレムリンに報告する規則だが、当直のペトロフ中佐は「先制攻撃ならもっと大規模なはずだ」と考え、見送った。後に誤作動と分かり、中佐は国連で表彰される。 米科学誌が発表した今年の終末時計は、人類滅亡の午前0時まで「残り89秒」に迫り、47年の発表開始以降で最短となった。同誌はウクライナでの戦争を挙げ、「軽率な判断や事故、誤算によって、


朝雲寸言(2025年10月16日付)
祖代々続く商売を守り継いだ伝統的かつ格式の高い店のことを老舗という。 創業百年以上の長寿企業の世界ランキングを見ると約半数が日本の企業であり、その4分の1以上が製造業であった。興味深いのはこれらの長寿企業のほとんどが先のコロナ禍で全く影響を受けなかったことである。 とある経済人の会合に参加した時、経営者の最大の悩みの一つは後継者問題であることを知った。やはり企業や組織を存続させ発展させていくのは人材であるのだと納得した。 さて本題は防衛省・自衛隊である。この夏、防衛省は当分の間、観閲・観艦式を中止すると発表した。我が国が戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面する現在、隙のない我が国の防衛態勢を維持する上で観閲式等を実施することは困難な状況に至ったとしている。 観閲・観艦式は自衛隊の最高指揮官である総理大臣を観閲官として行われる各自衛隊最大のイベントである。それ故にさまざまな準備に充当する人材も最新装備も全国から集まってくる。中止の判断に至るまでの関係者の苦悩と英断を高く評価したい。 伝統は変化を嫌う。しかし頑(かたく)なに変化を拒否すれば伝統が支


朝雲寸言(2025年10月2日付)
終戦直後に首相を務めた幣原喜重郎は1910年代、ワシントンの日本大使館で日本人移民の排斥問題に取り組んだ。再三の抗議にもかかわらず米側の姿勢は変わらない。幣原は、尊敬する英国大使のジェームズ・ブライスに意見を求めた。 練達の外交官の助言はこうだった。米国は他国から批判されても変わらないが、過ちに気づけば自ら改めることは歴史が証明している。短気を起こさず、その時を待ちなさい(幣原『外交五十年』)。 トランプ関税にも当てはまる戒めだろう。一方的な高関税の押し付けは不当で、何より自由貿易体制を損なう。それでも彼(か)の国との関係を断てない以上、最善を尽くした上で米国の復元力に期待するほかはない。 4カ月半にわたる日米交渉は難航を極めた。米側の無礼な振る舞いに、石破首相が「国益をかけた戦いだ。なめられてたまるか!」と珍しく声を荒げる場面もあった。 合意内容は、自動車関税などを15%に引き下げる代わりに日本が約80兆円の対米投資をするというもの。「日本モデル」をEUや韓国も踏襲したことからも、よく健闘したといえるだろう。 さて、米国である。8月、連邦控訴裁


第117回 真珠湾攻撃を考える ―抑止はバックファイヤーする
日本が1941年12月8日に真珠湾へ奇襲攻撃をかけることになった契機はいくつかありますが、その一つは同年8月1日の米国の対日石油禁輸の発動でした。この措置がなぜ日本の奇襲攻撃につながったのかについて、青山学院大学の土山實男名誉教授は、その著書「安全保障の国際政治学」の中で興味深い分析をしています。


防研セミナー 時代を読み解く シリーズ<45> 戦後80年~日本の責任の転換
今月の講師 石原雄介氏 防衛研究所 政策研究部 防衛政策研究室 主任研究官 1984(昭和59)年生まれ。神奈川県出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業、オーストラリア国立大学戦略防衛研究センター修士課程・同博士課程修了(国際関係博士)。2010年防衛研究所入所。今年4月から現職。専門はアジア太平洋の安全保障・国際関係。本記事と関連がある近著として、「検証「瓶の蓋」論:1970年代初頭日米中三国間の議論と不一致」『安全保障戦略研究』第3巻第2号(2023年3月)207~234頁がある。 変革期を迎える戦後の国際秩序 戦後の国際秩序が変革期を迎えたとの言説が見聞されて久しい。そのことは、長年、世界の平和と繁栄に覇権国として大きな役割を果たしてきた米国を取り巻く状況に大きな変化が生まれていることを鑑みれば、驚くべきことではない。


朝雲寸言(2025年9月25日付)
今年の秋分の日は9月23日。天の赤道と黄道(太陽の軌跡)が1年に2回交差する日が春分と秋分の日である。この日太陽は真東から上り真西に沈む。 十数年前に都心に住んでいた頃、早朝のジョギングで足を延ばして靖国神社に参拝に行くことがあった。秋分の日、秋の気配が感じられる街路樹を眺めながら九段下まで来ると朝日に映える大鳥居が見えてくる。 日本の神社の多くは南向きに作られることが多い。そのため鳥居も参道も南向きとなるが例外的に靖国神社は東に面している。午前6時の開門と同時に参道が朝日に照らされて輝く時間帯がある。 朝のジョギングの折り返し点、給水ポイントとして訪れただけの不信心者の身にも靖国神社が持つ静けさと荘厳さはわかる。早朝の開門と同時に参拝を終えた人々が歩いている。帽子を取り一礼して鳥居をくぐり、参道の左端を歩きながら手水(ちょうず)舎で両手と口をすすぎ身を清めて水分補給、平素の感謝を込めて参拝する。 秋分の日を過ぎると日照時間は次第に短くなり季節は本格的な秋へと移行する。と言いたいところだが、関東以西はしばらく真夏日が続くようだ。...


朝雲寸言(2025年9月18日付)
7月の参院選で女性の当選者は42人と過去最多だった。その多寡などの評価はさておき、日本の女性参政権は1945(昭和20)年12月の衆議院議員選挙法改正で初めて認められた。 この改正案に帝国議会で一人反対の論陣を張った衆院議員がいた。沖縄県出身の漢那(かんな)憲和(けんわ)(1877~1950年)である。法案には米軍統治下にあった同県民らの選挙権を停止する付則があり、それに抗議してのことだった。 戦争末期の沖縄戦では県民の4人に1人が犠牲になった。漢那はその惨状に触れ、「議会における県民の代表を失うことは、言語に絶する痛恨事であります」と切々と訴えている。 翌年の総選挙を経て新憲法を審議した国会には、沖縄県代表の姿はない。国民主権、憲法9条、女性参政権と、輝かしい民主化のスタートの陰にあったもう一つの現実である。 漢那は元海軍少将で、昭和天皇が皇太子時代に訪欧した際のお召し艦「香取」の艦長を務めた。国政に転じてからは軍部の独走を批判し、陸海軍大臣文官制を提唱。退役将官会から除名処分を受けている。戦後は沖縄の復帰運動に奔走した。 本土復帰して半世紀を


朝雲寸言(2025年9月11日付)
一定以上の年齢の米国人であれば、その時自分がどこにいて何をしていたかを覚えている出来事があるという。2001年9月11日早朝に起きた米国同時多発テロである。 それまで本土に武力攻撃されたことがなかった米国にとって9・11は想像を絶する衝撃の出来事だったのだ。あれから四半世紀近くが経過した。明確な根拠はないが現在の米国の混乱や衰退は9・11から始まったのだという見方がある。 20年以上にわたり米国が対テロ戦争に費やした経費や人材は膨大なものに上る。その努力に見合う成果があったかと問われると疑問が残る。 米国が世界中のテロ組織と戦っている間に超大国として本来向き合うべき脅威に対する姿勢がやや緩慢ではなかったという指摘はロシアのウクライナ侵攻や混乱の極みにある中東情勢を見る限り納得できる。 9・11によって日米の安全保障環境も大きく変化した。米国のアフガニスタンへの侵攻に際し我が国は対テロ特措法によって海自がインド洋で多国籍の艦船を支援し、イラク戦争ではイラク特措法によって陸・空自をイラクに派遣した。その延長線上に平和安全法制の成立があるともいえる。.


朝雲寸言(2025年9月4日付)
自民党は1955年、日本民主党と自由党が合流して結成された。左右社会党の統一に対抗するためだったが、内輪もめばかりで、当事者たちも「10年もてば」と嘆くほどだった。 正式名「自由民主党」は2つの党名を合体しただけと思っていたら、実は公募方式が採られたという。最多は「日本保守党」だったが、「選挙ウケしない」と議員らに不評で、自由と民主主義の理想をうたった名称が採用された。そのおかげか、世界でもまれな長期政権を実現する。 政党の離合集散が激しい昨今はこんな問題も。立憲民主党と国民民主党は共に旧民主党を源流とし、衆参比例区の略称は同じ「民主党」。有権者には紛らわしいが、広く浸透しているから双方譲らない。ご苦労なのは各地の選挙管理委員会で、選挙のたびに各々の有効票の割合に応じて「民主党」票を割り振っている。 7月の参院選では参政党など新興勢力が躍進する一方、自民党などの老舗は軒並み苦戦した。中でも「がけっぷち」だったのが社会民主党(社民党)だ。旧社会党の流れをくむ名門だが、今回、得票率が2%を切れば公職選挙法上の政党要件を失うところだった。...


第116回 力の使用における節度 ―天才は止まるべきところを知っている―
昨年秋にドイツの宰相ビスマルクの終焉(しゅうえん)の地を訪れたことからイギリスの著名な歴史家A・J・Pテイラーが著したビスマルクの伝記を読んでみました。伝記の終わりの部分でテイラーがビスマルクに対して秀逸な評価をしていますので紹介します。それは次の通りです。


朝雲寸言(2025年8月28日付)
先日エレベーターで外国人とおぼしき若い男女と遭遇した。服装や容姿から普通の日本人との違いはない。しかしどこか違和感があり日本人ではないと確信した。 街を歩けば多くの外国人を見かける。アジアからの旅行者は多様だが日常の所作が似ているようで少し違う、そんな違和感を持つ人も多いのではないか。 我が国の在留外国人の数は年々増加している。昨年度の法務省の資料によれば、旅行者や短期の訪日外国人を除いて約360万人の外国人が日本で暮らしているという。その上位の国別の人数は次の通りだ。4位フィリピン34万人、3位韓国41万人、2位ベトナム60万人そして1位は中国84万人である。 さらに都道府県別の在留外国人の上位を見ると4位神奈川県28万人、3位大阪府31万人、2位愛知県32万人、1位は東京都で70万人である。 交通手段や通信インフラの発達によって我が国の国際化は一層進展しており、地域社会と増え続ける在留外国人との軋轢(あつれき)なども政治的な争点として顕在化しつつある。 欧州や米国では、移民排斥運動や不法移民の取り締まりの動きがある。公式には移民政策を採らない


防研セミナー 時代を読み解く シリーズ<44> 前進根拠地の戦略的重要性
日露戦争における日本海軍のロジスティクス 今月の講師 石原明徳2海佐 防衛研究所 戦史研究センター 国際紛争史研究室所員 1971(昭和46)年生まれ、千葉県出身。立命館大学文学部卒業、93年海自入隊(一般幹部候補生44期)。経理・補給幹部。指揮幕僚課程修了、放送大学大学院修士課程修了、修士(学術)。第3術科学校教官、海自幹部学校教官などを経て、2022年から現職。今年4月から海幕総務課海自75年史編さん室兼務。専門は防衛装備移転史、軍事ロジスティクス史。最近の論文に「1950年代の台湾向け魚雷艇移転とその背景について」(『戦史研究年報』第27号、24年3月)、「ACSAの変遷―日米2国間から多国間へ―」(『海幹校戦略研究』第7巻2号、18年1月)などがある。 補給や支援拠点として柔軟展開 1904年に勃発した日露戦争における日本海軍の戦略意義は、大陸に展開する陸軍の兵站線確保にあった。これを達成するための海上作戦の継続が、日露戦争における日本海軍ロジスティクスの目的であったと言えよう。
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