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前事不忘


前事不忘 後事之師 第123回 バルト三国訪問記(2)
バルト三国の地図 国防を同盟に頼ることの意味を考える 前回の連載で書きましたが、1月にバルト三国を訪れ、国防省や防衛産業などで防衛関係者と議論してきました。そのうち何人かから発せられた言葉の一つが「私の国は小国ですから」というものでした。私は、当初、この言葉に、三国が抱える戦略上の課題に対する“諦観(ていかん)の響き”を感じましたが、その後、よく三国の状況について調べてみると、私のこの感想はあやまりであることに気づきました。


第122回 バルト三国訪問記(1) ―バルト三国の冬は厳しい―
凍結したダウガバ河の河岸に立つ筆者 1月に防衛企業の方々とバルト三国を訪問し、国防省や北大西洋条約機構(NATO)の研究センター、政府のサイバー防衛部局、スタートアップ防衛企業などを訪問してきました。


第120回 相克するナショナリズム
満州事変(1931年)は、政府の統制を無視した関東軍の暴走によって引き起こされたとよく言われます。もちろん、それは事実ですが、政治学者馬場伸也の著書「満州事変への道」を読むと、関東軍の暴走だけを事変の原因だと見なすのは短絡的なようです。
第119回 満州事変の背景 ――Even a spark dies without fuel.
幣原喜重郎 田中義一 満州事変(1931年)は、政府の統制を無視した関東軍の暴走によって引き起こされたとよく言われます。もちろん、それは事実ですが、政治学者馬場伸也の著書「満州事変への道」を読むと、関東軍の暴走だけを事変の原因だと見なすのは短絡的なようです。


第118回 米国の対日石油禁輸を再考する 官僚組織の中で指導者の統制を貫徹することは容易ではない
前回の連載では、1941年の米国の対日石油禁輸措置がどうして日本の真珠湾攻撃につながったのかについて青山学院大学の土山實男教授の著書を基に説明しましたが、土山がその著書で引用している米国の歴史家ジョナサン・アトリーの『GOING TO WAR WITH JAPAN』という本には、驚くべき記述があります。それは、ルーズベルト大統領は日本に対して、石油の禁輸を発動したが、輸出制限であり全面禁輸などするつもりはなかったというものです。


第117回 真珠湾攻撃を考える ―抑止はバックファイヤーする
日本が1941年12月8日に真珠湾へ奇襲攻撃をかけることになった契機はいくつかありますが、その一つは同年8月1日の米国の対日石油禁輸の発動でした。この措置がなぜ日本の奇襲攻撃につながったのかについて、青山学院大学の土山實男名誉教授は、その著書「安全保障の国際政治学」の中で興味深い分析をしています。


第116回 力の使用における節度 ―天才は止まるべきところを知っている―
昨年秋にドイツの宰相ビスマルクの終焉(しゅうえん)の地を訪れたことからイギリスの著名な歴史家A・J・Pテイラーが著したビスマルクの伝記を読んでみました。伝記の終わりの部分でテイラーがビスマルクに対して秀逸な評価をしていますので紹介します。それは次の通りです。
第115回 習近平主席が恐れるもの ―和平演変―
中国の指導者、習近平国家主席にとってもっとも重要な使命は中国共産党の一党支配の堅持でしょう。もちろん人民の生活の安定・向上も重視していますが、それは目的ではなく体制維持のための手段ではないかと見えます。
第114回 中国政治体制の弱点
我が国の安全保障を考える上での最大の課題は台頭する中国にどう向き合うのかだと言われて、かなりの歳月が経過しています。専制主義的な体制をしく中国のような国であれば、その指導者がどういう人物であるのか見極めることが重要ですが、これまで習近平について専門家による本格的な分析は少なかったように思います。しかし最近、大東文化大学の鈴木隆教授による『習近平研究』という研究書が出版されました。


第113回 習近平にとっての台湾問題
わが国では最近、台湾有事は日本の有事であると言われますが、大東文化大学の鈴木隆教授は著書「習近平研究」の中で、東アジア近代史の総決算を目指す習近平にとっても台湾問題は日本問題であると書いています。


第112回 『習近平研究』を読んで
『習近平研究』鈴木隆著(東京大学出版会刊) 我が国の安全保障を考える上での最大の課題は台頭する中国にどう向き合うのかだと言われて、かなりの歳月が経過しています。専制主義的な体制をしく中国のような国であれば、その指導者がどういう人物であるのか見極めることが重要ですが、これまで習近平について専門家による本格的な分析は少なかったように思います。しかし最近、大東文化大学の鈴木隆教授による『習近平研究』という研究書が出版されました。


第111回 長篠の戦いを考える ―正しい教訓を引き出すのは難しい―
長篠の戦いの地図 天正三年(1575年)5月21日、武田勝頼率いる武田軍と織田信長、徳川家康率いる織田・徳川軍が激突した長篠の戦いは、織田・徳川軍が鉄砲を用いた新戦術により武田騎馬軍団を打ち破った戦術革命だったと言われています。しかし最近の研究では、そうした説は否定されています。東京大学史料編纂所・金子拓(ひらく)教授の著書を基に、戦いを説明します。
第110回 桶狭間の戦いを考える
戦国の風雲児織田信長の名を世間に知らしめることになった戦いと言えば、永禄三年(1560年)5月(旧暦)に行われた桶狭間の戦いです。通説では、この戦いは少数の信長軍が大軍の今川義元軍を破ったことから、信長の隠密行動を伴う“奇襲による勝利”だとされています。信長についてはその家臣であった太田牛一(ぎゅういち)が「信長公記(しんちょうこうき)」という信長の一代記を著しており、この中に桶狭間の戦いについての記述があり、これを藤本正行という研究者が読み込み、桶狭間の戦いについて分析をしていますが、藤本は奇襲説に異論を唱えています。


第109回 手段に飲み込まれたビスマルク ―ドイツ帝国成立の日、皇帝は不機嫌だった―
「ドイツ帝国の誕生」アントン・フォン・ヴェルナー作(独フリードリヒスルー・ビスマルク博物館収蔵)檀上中央の白い頬髪の人物がドイツ皇帝ヴィルヘルム1世、壇の下、中央白い軍服が宰相ビスマルク、その右で横向きの人物が参謀総長モルトケ イェール大学のジョン・ルイス・ギャディス教授はその著書「歴史としての冷戦」の中で、冷戦の起源とソ連の崩壊の原因について考察しています。この著書で、ギャディス教授は、「仮にルーズベルトやチャーチルがいなかったとしても冷戦は生起したであろうが、スターリンがいなかったとしたら、第2次大戦後の世界は全く違った展開になったであろう」と主張し、「スターリンは家族関係、側近との個人的な関係、党内、国内、同盟関係、国際関係の全ての前線で冷たい戦争を遂行した」「冷たい戦争を戦うことはスターリンの性癖だった」と書いています。冷戦は一人の人物の性格に起因すると主張しているように感じました。


第108回 ビスマルクの手法
オットー・フォン・ビスマルク(1815-1898) ドイツ統一の過程でビスマルクが見せた手腕には驚嘆させられます。






