top of page
前事不忘
第110回 桶狭間の戦いを考える
戦国の風雲児織田信長の名を世間に知らしめることになった戦いと言えば、永禄三年(1560年)5月(旧暦)に行われた桶狭間の戦いです。通説では、この戦いは少数の信長軍が大軍の今川義元軍を破ったことから、信長の隠密行動を伴う“奇襲による勝利”だとされています。信長についてはその家臣であった太田牛一(ぎゅういち)が「信長公記(しんちょうこうき)」という信長の一代記を著しており、この中に桶狭間の戦いについての記述があり、これを藤本正行という研究者が読み込み、桶狭間の戦いについて分析をしていますが、藤本は奇襲説に異論を唱えています。


第109回 手段に飲み込まれたビスマルク ―ドイツ帝国成立の日、皇帝は不機嫌だった―
「ドイツ帝国の誕生」アントン・フォン・ヴェルナー作(独フリードリヒスルー・ビスマルク博物館収蔵)檀上中央の白い頬髪の人物がドイツ皇帝ヴィルヘルム1世、壇の下、中央白い軍服が宰相ビスマルク、その右で横向きの人物が参謀総長モルトケ イェール大学のジョン・ルイス・ギャディス教授はその著書「歴史としての冷戦」の中で、冷戦の起源とソ連の崩壊の原因について考察しています。この著書で、ギャディス教授は、「仮にルーズベルトやチャーチルがいなかったとしても冷戦は生起したであろうが、スターリンがいなかったとしたら、第2次大戦後の世界は全く違った展開になったであろう」と主張し、「スターリンは家族関係、側近との個人的な関係、党内、国内、同盟関係、国際関係の全ての前線で冷たい戦争を遂行した」「冷たい戦争を戦うことはスターリンの性癖だった」と書いています。冷戦は一人の人物の性格に起因すると主張しているように感じました。


第108回 ビスマルクの手法
オットー・フォン・ビスマルク(1815-1898) ドイツ統一の過程でビスマルクが見せた手腕には驚嘆させられます。
bottom of page






