朝雲寸言(2026年7月2日付)
- 7月1日
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「だって言うじゃない、被害者にも非があるって。だまされる側も悪いということよ」。何げない日常、公然と大声でなされた喫茶店での会話である。筆者は発言の主である50代女性の顔をまじまじと見てしまった。
これから詐欺まがいのことでもしでかすのかという勢いがあった。事後に起きる非難の声を予防しようとしているかのようだった。
では、問いたい。例えば北海道旭川市で起きた女子高校生殺害事件について、被害者の女子高校生にも非はあったと思うのか。いじめを受ける小学生、ドメスティックバイオレンスを受ける妻、子ども、夫らに落ち度を勘ぐるのか。自死に追い詰められる多額詐欺の被害者を自業自得と白眼視するのか。殺害されたり心身を害されたりだまされたりするべき理由のある人間は誰一人いない。
心理学の「公正世界仮説」によれば、人は「世界は安全・公正だから被害者にも何か原因があったはずだ」と無意識に捉えてしまうのだそうだ。被害者非難を助長する陥穽(かんせい)である。
おぞましい心理的バイアスはSNSで異常に肥大化し、普通の倫理感覚を駆逐しがちである。いつの間にか加害行為の可罰性は薄らぎ、被害と加害の関係が逆転してしまうこともある。
今は戦時ではなく平時である。素朴な善悪理非は人間社会の黎明(れいめい)期からの不滅の法規範である。この崩壊は国も含め人間社会の崩壊をも意味する、というのは果たして考え過ぎだろうか。
(2026年7月2日付『朝雲』より)







