top of page
朝雲寸言


朝雲寸言(2025年11月27日付)
今は昔、知らない土地を運転することは神経を使うことだった。車には必ず道路地図が積んであった。事前に路線図を見ながら目的地までの主要な交差点と顕著な建物を確認することが必要だった。 同乗者がいる場合、助手席に座る者には地図が読めることが求められた。だが車の進行方向に合わせて地図を回転させるような人が助手席に座ると道に迷うこともあった。 GPSという衛星測位システムが普及してから長距離ドライブは激変した。「カーナビ」と呼ばれる経路検索ソフトウエアによって今では車の中で道路マップを開くことはなくなった。GPSが軍事的目的で開発されたことを知る人は意外と少ない。カーナビは軍用技術が民生用に転用された典型的な一例である。 現在、世界規模で衛星測位システムを保有しているのは米国のGPS、ロシアのグロナス、EUのガリレオそして中国の北斗であり、インドと日本が地域的な衛星測位システムを運用している。 なぜ独自の衛星測位システムが必要なのか。全世界に展開する米軍のGPSが使えれば十分ではないか。中国の北斗を使えば十分ではないかなどのさまざまな意見がある。だが衛星測


朝雲寸言(2025年11月20日付)
新宿中村屋が、国内初の本格的インドカレーを売り出したのは1927年のこと。骨付き鶏肉にスパイスをふんだんに使い、1人前80銭。町の洋食屋のカレーの8倍もしたが飛ぶように売れたという。 これにはインド独立運動の指導者ラス・ビハリ・ボースが関わっている。英国の植民地だったインドで活動していたが、官憲の弾圧を逃れて日本に亡命。中村屋の創業者夫妻にかくまわれ、その娘と結婚する。ボースの助言でメニューに入ったのが今に続く「純印度式カリー」だ。 腹心のA・M・ナイルらと共に、インド国民軍に武器を送るなどして祖国の独立運動を側面から支えた。後の首相・犬養毅やアジア主義者の頭山満らも熱心な支援者で、一緒に中村屋のカリーに舌鼓を打ったこともあっただろう。 ボースは47年のインド独立を見ずに病没する。一方、ナイルはその後も日印親善に尽くすかたわら、銀座にインド料理店「ナイルレストラン」を開く。タレントでもある二代目を経て、現在は孫の三代目が継ぐ。 こんな背景もあってインドには親日家が多い。外務省の調査では、日本を「信頼できる」と答えたインド人は96%と友好国の中でも


朝雲寸言(2025年11月13日付)
ノーベル平和賞は「国家間の友好関係、軍備の削減・廃止及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」に贈られる。ちなみに生存していることが条件で物故者は含まれない。 誰がノーベル平和賞を決めるのか。選考はノルウェーの国会が指名する5人の委員と書記で構成されるノーベル委員会が行うという。 選考は各国に推薦依頼状を送り推薦された候補者の中から選ばれる。そのためノーベル平和賞は国家間の政治情勢の影響を受けやすく選考の妥当性に対して批判されることも多い。 一方で独裁的国家は受賞に対して強く反発することがある。2010年、中国の民主活動家劉曉波は中国初のノーベル賞受賞者となったが反革命の罪で投獄中で受賞式に参列できなかった。 インド独立の父マハトマ・ガンジーは5回ノミネートされ1948年には最終候補者となったものの暗殺されたため受賞には至らなかった。後にノーベル委員会は賞を与えなかったことを「最大の不作為」と認めている。 国家指導者も受賞者リストに名を連ねる。ノーベル平和賞を現職中に受賞した米大統領はこれまでにT・ルーズベルト、W・ウィル


朝雲寸言(2025年11月6日付)
作家の司馬遼太郎さんには史料収集にまつわる逸話が多い。1962年、38歳の時に『竜馬がゆく』の新聞連載が始まるが、古書店で買い集めた史料は1400万円相当に上った。 68年から『坂の上の雲』を書いた時もそうだった。神田の古書街から日露戦争関連の本や地図が消え、同じ題材の戯曲を執筆中の井上ひさしさんを困らせたとか。真偽のほどはさておき、対象にとことん迫ろうという作家の執念が伝わってくる。 その司馬さんに『ロシアについて』(86年刊)という随筆集がある。豊富な知見を踏まえ、ロシアやロシア人の本質に思いを巡らせている。 彼らの祖先は、しばしば野蛮なアジア系遊牧民族の侵略にさらされた。特に13世紀にモンゴル人が建てたキプチャク・ハン国は、約240年にわたってロシア平原に居座り、破壊と殺戮(さつりく)、収奪の限りを尽くす。いわゆる「タタールのくびき」である。 そのトラウマが、外国への異様な恐怖心と猜疑心(さいぎしん)、潜在的な征服欲、火器への異常信仰といった「ロシア社会の原形質」になって現代に続いている、というのが司馬さんの見立てである。ロシアによるウクラ


朝雲寸言(2025年10月30日付)
10月24日は「国連の日」である。1945年のこの日に国際連合憲章が発効して国際連合が正式に発足したことに因(ちな)んでいる。 創設から80年。しかし今、国連は冬の時代を迎えている。その要因の第1は安全保障理事会の機能不全であろう。創設当時から指摘されてきた構造的欠陥がロシアのウクライナ侵攻や中東のパレスチナ問題で改めて浮き彫りとなった。 常任理事国が拒否権を発動すれば安保理は何も決められず国連は動けない。ソ連崩壊後の湾岸危機などで国連が主導的に国際紛争を解決してきた頃とは雲泥の差である。 国連低迷の要因の第2は行き過ぎたリベラリズムである。リベラリズムが標榜(ひょうぼう)する自由や公平性、個人の尊厳や多元性が過激なナショナリズムや自国優先の政策を助長し国家の対立を深めているというのだ。 そもそも国際連合は国際協調による平和というリベラリズムの理想を体現する組織である。しかし実態は国際社会の現実と理想との間で常に揺れ動いているのである。 「私たちが直面する世界の荒廃はリベラルの失敗ではなくその成功の証しなのだ」という趣旨の書籍が注目を集めている。


朝雲寸言(2025年10月23日付)
被害妄想に取りつかれた米軍の司令官がソ連への水爆投下を命じる。全面戦争を恐れた大統領が中止命令を出すが、1機だけ連絡のつかない爆撃機が――。スタンリー・キューブリック監督の映画「博士の異常な愛情」(1964年)は、核抑止論の危うさを皮肉ったブラックコメディーの傑作とされる。 実際に「ニアミス」は何度もあった。79年、就寝中のブレジンスキー米大統領補佐官のもとに「ソ連の核ミサイル250発が米国に発射された」と報告が入る。第2報は2200発に増えた。カーター大統領に全面報復を進言しようとした時、3回目の電話が鳴った。「システムエラーでした」。 83年には、ソ連の防空司令部が米国から核ミサイル5発が発射されたことを探知。直ちにクレムリンに報告する規則だが、当直のペトロフ中佐は「先制攻撃ならもっと大規模なはずだ」と考え、見送った。後に誤作動と分かり、中佐は国連で表彰される。 米科学誌が発表した今年の終末時計は、人類滅亡の午前0時まで「残り89秒」に迫り、47年の発表開始以降で最短となった。同誌はウクライナでの戦争を挙げ、「軽率な判断や事故、誤算によって、


朝雲寸言(2025年10月16日付)
祖代々続く商売を守り継いだ伝統的かつ格式の高い店のことを老舗という。 創業百年以上の長寿企業の世界ランキングを見ると約半数が日本の企業であり、その4分の1以上が製造業であった。興味深いのはこれらの長寿企業のほとんどが先のコロナ禍で全く影響を受けなかったことである。 とある経済人の会合に参加した時、経営者の最大の悩みの一つは後継者問題であることを知った。やはり企業や組織を存続させ発展させていくのは人材であるのだと納得した。 さて本題は防衛省・自衛隊である。この夏、防衛省は当分の間、観閲・観艦式を中止すると発表した。我が国が戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面する現在、隙のない我が国の防衛態勢を維持する上で観閲式等を実施することは困難な状況に至ったとしている。 観閲・観艦式は自衛隊の最高指揮官である総理大臣を観閲官として行われる各自衛隊最大のイベントである。それ故にさまざまな準備に充当する人材も最新装備も全国から集まってくる。中止の判断に至るまでの関係者の苦悩と英断を高く評価したい。 伝統は変化を嫌う。しかし頑(かたく)なに変化を拒否すれば伝統が支


朝雲寸言(2025年10月2日付)
終戦直後に首相を務めた幣原喜重郎は1910年代、ワシントンの日本大使館で日本人移民の排斥問題に取り組んだ。再三の抗議にもかかわらず米側の姿勢は変わらない。幣原は、尊敬する英国大使のジェームズ・ブライスに意見を求めた。 練達の外交官の助言はこうだった。米国は他国から批判されても変わらないが、過ちに気づけば自ら改めることは歴史が証明している。短気を起こさず、その時を待ちなさい(幣原『外交五十年』)。 トランプ関税にも当てはまる戒めだろう。一方的な高関税の押し付けは不当で、何より自由貿易体制を損なう。それでも彼(か)の国との関係を断てない以上、最善を尽くした上で米国の復元力に期待するほかはない。 4カ月半にわたる日米交渉は難航を極めた。米側の無礼な振る舞いに、石破首相が「国益をかけた戦いだ。なめられてたまるか!」と珍しく声を荒げる場面もあった。 合意内容は、自動車関税などを15%に引き下げる代わりに日本が約80兆円の対米投資をするというもの。「日本モデル」をEUや韓国も踏襲したことからも、よく健闘したといえるだろう。 さて、米国である。8月、連邦控訴裁


朝雲寸言(2025年9月25日付)
今年の秋分の日は9月23日。天の赤道と黄道(太陽の軌跡)が1年に2回交差する日が春分と秋分の日である。この日太陽は真東から上り真西に沈む。 十数年前に都心に住んでいた頃、早朝のジョギングで足を延ばして靖国神社に参拝に行くことがあった。秋分の日、秋の気配が感じられる街路樹を眺めながら九段下まで来ると朝日に映える大鳥居が見えてくる。 日本の神社の多くは南向きに作られることが多い。そのため鳥居も参道も南向きとなるが例外的に靖国神社は東に面している。午前6時の開門と同時に参道が朝日に照らされて輝く時間帯がある。 朝のジョギングの折り返し点、給水ポイントとして訪れただけの不信心者の身にも靖国神社が持つ静けさと荘厳さはわかる。早朝の開門と同時に参拝を終えた人々が歩いている。帽子を取り一礼して鳥居をくぐり、参道の左端を歩きながら手水(ちょうず)舎で両手と口をすすぎ身を清めて水分補給、平素の感謝を込めて参拝する。 秋分の日を過ぎると日照時間は次第に短くなり季節は本格的な秋へと移行する。と言いたいところだが、関東以西はしばらく真夏日が続くようだ。...


朝雲寸言(2025年9月18日付)
7月の参院選で女性の当選者は42人と過去最多だった。その多寡などの評価はさておき、日本の女性参政権は1945(昭和20)年12月の衆議院議員選挙法改正で初めて認められた。 この改正案に帝国議会で一人反対の論陣を張った衆院議員がいた。沖縄県出身の漢那(かんな)憲和(けんわ)(1877~1950年)である。法案には米軍統治下にあった同県民らの選挙権を停止する付則があり、それに抗議してのことだった。 戦争末期の沖縄戦では県民の4人に1人が犠牲になった。漢那はその惨状に触れ、「議会における県民の代表を失うことは、言語に絶する痛恨事であります」と切々と訴えている。 翌年の総選挙を経て新憲法を審議した国会には、沖縄県代表の姿はない。国民主権、憲法9条、女性参政権と、輝かしい民主化のスタートの陰にあったもう一つの現実である。 漢那は元海軍少将で、昭和天皇が皇太子時代に訪欧した際のお召し艦「香取」の艦長を務めた。国政に転じてからは軍部の独走を批判し、陸海軍大臣文官制を提唱。退役将官会から除名処分を受けている。戦後は沖縄の復帰運動に奔走した。 本土復帰して半世紀を


朝雲寸言(2025年9月11日付)
一定以上の年齢の米国人であれば、その時自分がどこにいて何をしていたかを覚えている出来事があるという。2001年9月11日早朝に起きた米国同時多発テロである。 それまで本土に武力攻撃されたことがなかった米国にとって9・11は想像を絶する衝撃の出来事だったのだ。あれから四半世紀近くが経過した。明確な根拠はないが現在の米国の混乱や衰退は9・11から始まったのだという見方がある。 20年以上にわたり米国が対テロ戦争に費やした経費や人材は膨大なものに上る。その努力に見合う成果があったかと問われると疑問が残る。 米国が世界中のテロ組織と戦っている間に超大国として本来向き合うべき脅威に対する姿勢がやや緩慢ではなかったという指摘はロシアのウクライナ侵攻や混乱の極みにある中東情勢を見る限り納得できる。 9・11によって日米の安全保障環境も大きく変化した。米国のアフガニスタンへの侵攻に際し我が国は対テロ特措法によって海自がインド洋で多国籍の艦船を支援し、イラク戦争ではイラク特措法によって陸・空自をイラクに派遣した。その延長線上に平和安全法制の成立があるともいえる。.


朝雲寸言(2025年9月4日付)
自民党は1955年、日本民主党と自由党が合流して結成された。左右社会党の統一に対抗するためだったが、内輪もめばかりで、当事者たちも「10年もてば」と嘆くほどだった。 正式名「自由民主党」は2つの党名を合体しただけと思っていたら、実は公募方式が採られたという。最多は「日本保守党」だったが、「選挙ウケしない」と議員らに不評で、自由と民主主義の理想をうたった名称が採用された。そのおかげか、世界でもまれな長期政権を実現する。 政党の離合集散が激しい昨今はこんな問題も。立憲民主党と国民民主党は共に旧民主党を源流とし、衆参比例区の略称は同じ「民主党」。有権者には紛らわしいが、広く浸透しているから双方譲らない。ご苦労なのは各地の選挙管理委員会で、選挙のたびに各々の有効票の割合に応じて「民主党」票を割り振っている。 7月の参院選では参政党など新興勢力が躍進する一方、自民党などの老舗は軒並み苦戦した。中でも「がけっぷち」だったのが社会民主党(社民党)だ。旧社会党の流れをくむ名門だが、今回、得票率が2%を切れば公職選挙法上の政党要件を失うところだった。...


朝雲寸言(2025年8月28日付)
先日エレベーターで外国人とおぼしき若い男女と遭遇した。服装や容姿から普通の日本人との違いはない。しかしどこか違和感があり日本人ではないと確信した。 街を歩けば多くの外国人を見かける。アジアからの旅行者は多様だが日常の所作が似ているようで少し違う、そんな違和感を持つ人も多いのではないか。 我が国の在留外国人の数は年々増加している。昨年度の法務省の資料によれば、旅行者や短期の訪日外国人を除いて約360万人の外国人が日本で暮らしているという。その上位の国別の人数は次の通りだ。4位フィリピン34万人、3位韓国41万人、2位ベトナム60万人そして1位は中国84万人である。 さらに都道府県別の在留外国人の上位を見ると4位神奈川県28万人、3位大阪府31万人、2位愛知県32万人、1位は東京都で70万人である。 交通手段や通信インフラの発達によって我が国の国際化は一層進展しており、地域社会と増え続ける在留外国人との軋轢(あつれき)なども政治的な争点として顕在化しつつある。 欧州や米国では、移民排斥運動や不法移民の取り締まりの動きがある。公式には移民政策を採らない


朝雲寸言(2025年8月21日付)
1918年夏の米騒動は、米価高騰に苦しむ富山県の女性らのささやかな抗議行動が発端だった。「越中女房一揆」として新聞で全国に伝わると、たった1カ月で数百万人を巻き込む騒擾(そうじょう)事件に発展する。 8月12日夜、神戸市の総合商社が「米買い占め、米価つり上げの元凶」とみなされ、群衆に囲まれて焼き打ちに遭う。後に作家の城山三郎さんがテン末を調べ、『鼠(ねずみ) 鈴木商店焼打ち事件』を書いた。真相は意外なものだった。 鈴木商店は、買い占めどころか逆に安い海外米を大量に輸入して、政府の米価抑制策に協力していたのである。「鈴木としては、感謝されていいという気持ちだったろう」と城山さん。 一部の新聞はそれを知りながら、暴利をむさぼる「奸商(かんしょう)」(ずるい商人)のように書き立てた。鈴木の背後にいた藩閥内閣を揺さぶる狙いがあったというが、虚実取り混ぜたセンセーショナルな報道で大衆をあおったことは将来に禍根を残した。 新聞が国民を戦争に駆り立てるようになるのは、約20年後のことである。少年兵で敗戦を迎え、日本がどこで道を誤ったかを問い続けた城山さんは、こ


朝雲寸言(2025年8月14日付)
じりじりと真夏の太陽が照りつける午後、近くの公園で水遊びする子供たちの歓声を聞きながら流れる水の先にある小さな池にたどり着いた。 淀(よど)みが作る湿地に蓮(はす)の花が群生している。ここに来ると「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という一文を思い出す。泥の中から生まれながら真っすぐに伸びて白や桃色の花を咲かせる蓮の花は酷暑の中に散歩する際の一服の清涼剤である。 日本の8月は慰霊と鎮魂の月である。先の大戦の末期に米国は東京大空襲に引き続き日本の地方都市を標的とした大規模な戦略爆撃を行った。住宅地や商業地を破壊して国民の士気を喪失させる無差別の都市爆撃であった。 8月1日の夜、米軍は新潟県長岡市を取り囲むように2千発以上の大型焼夷(しょうい)弾を投下し、それを目印として後続の大編隊が4千発以上の集束焼夷弾(焼夷弾38発を内包)で爆撃した。長岡市街地の約8割が焼失、1480人余りの市民が死亡した。 長岡の夏といえば花火であろう。毎年花火大会の前日である8月1日の夜に長岡市は3発の尺玉を打ち上げる。白一色の3つの大輪は空襲で失った多くの市民への慰霊であり、
bottom of page






