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コラム


朝雲寸言(2025年1月23日付)
「自衛隊の方へ。掘りおこすとき左記に連絡ください。母がうずまっています」――。「阪神・淡路大震災」の災害派遣で陸自第3特科連隊が、がれきをかき分け遺体の捜索にあたる姿を伝える写真の一部に写っているメモ書きだ。 30年前の1995年1月17日に発生したこの大震災は最大震度7の揺れによって6434人の命と日常を奪った。当日の朝、テレビ・ニュースに流れた映像は衝撃だった。阪神高速道路は横倒しとなり、阪急伊丹駅は3階建ての駅舎が崩壊していた。にわかに現実とは思えない惨状だった。しかし、今になって、最も忘れられないのが、前述したメモ書きの写真なのである。 ひと組の親子に突然襲った悲劇は表象となり、誰にも起こり得ることを否応なく思い起こさせる。社会インフラの機能不全がもたらす弊害は「不便」に集約されるが、家族をはじめ、かけがえのない人を失った悲しみは究極の「不幸」だ。 この都市型の大災害は、地方自治体の自衛隊に対する災害派遣要請の遅れ、関係機関との情報交換の欠如など、さまざまな危機管理上の問題点をさらけ出した。結果として法改正や地方自治体と自衛隊の防災訓練の


朝雲寸言(2025年1月16日付)
令和7年が明けた。世界のさまざまな地域で新年を祝うニュースが流れていた。もっとも世界の全てが新年を迎えたわけではない。月の満ち欠けで月日を定めるイスラム教世界は西暦の新年とは関係がない。 イスラム過激派と対立するイスラエルの新年は秋に訪れる。太陰太陽暦の中国やアジア各国では1月下旬からの春節が新年にあたる。タイやバングラデシュなどでは4月、インドのヒンドゥー暦では11月は新年である。 国連などで西暦が標準的に使用されているのはそれが便利であるからだ。それでも我が国はじめ各国が独自の暦を使用しているのは暦が国家の成り立ちに深く結びついているからである。 合理的な利便性と譲れない固有の文化の狭間の中で世界は協調と対立が混在していると見るべきか。年の初めに多くの研究機関が世界情勢を予測している。中でもその年の世界のリスクを予測し、ランキングする「世界の十大リスク」が先日発表された。 今年のリスクの1番目は「Gゼロ世界の混迷」である。国際秩序を主導する国家が不在で「世界の分裂は深まり危機に陥りやすくなる」と指摘している。その他の十大リスクとして2番目に「


第108回 ビスマルクの手法
オットー・フォン・ビスマルク(1815-1898) ドイツ統一の過程でビスマルクが見せた手腕には驚嘆させられます。


朝雲寸言(2025年1月9日付)
新しい年は「昭和百年」に当たる。百年前の大正14(1925)年は、ドイツで反乱を企てた罪で一時解散に追い込まれていた国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が再結成され、イタリアで国家ファシスト党を率いるムッソリーニ首相が独裁体制を確立するなど、全体主義が勢いを得た年であった。 歴史は必ずしも全てが必然ではなく、さまざまな偶然が重なって形作られる。全体主義台頭の含意を当時の日本人が洞察できていれば、後年、主体性も乏しいまま当時の同盟諸国に盲従する愚行も避けられたかもしれない。百年前のあの年は歴史の分岐点だった。 現在に目を移せば、ロシアはウクライナ侵略を続け、中国共産党政権は周辺諸国を武力で威嚇し続けるなど強権国家の粗暴さが際立つ。「危険が猛スピードで近づいている。戦時思考に切り替えよ」との北大西洋条約機構のルッテ事務総長の警鐘がぐさりとくる。 欧州では防衛費を国内総生産比3パーセントにすべきだとの声も出始めた。一方、わが国では2パーセントにするための財源確保の道も磐石(ばんじゃく)とは言えない。与野党の別なく政治が国民へのバラマキ政策に慣れ過ぎ、国
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