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春夏秋冬


<春夏秋冬> 「韓国、南朝鮮」と「北朝鮮、朝鮮、北韓」 平岩俊司
「韓国と朝鮮という二つの国家が徐々に平和共存へ向かうことを期待する」。今年8月の中韓外相会談での王毅中国外相の発言だ。韓国の魏聖洛国家安保室長は「韓国の立場と異なる」として厳重に問題提起したという。 何が問題だったのか?「二つの国家」という文言だ。韓国と北朝鮮の関係について、1991年の南北関係基本合意書で確認した「国と国との関係ではない、統一を志向する過程で暫定的に形成される特殊な関係」とするのが韓国の公式の立場である。統一を放棄していない韓国にとって「二つの国家」は受け入れられない。 中国は、現在の北朝鮮が韓国は統一の相手ではない、とする「敵対的二国家論」を尊重して「二つの国家」としたのであろう。中韓国交正常化まで中国は、南北を「朝鮮、南朝鮮」と呼称してきたが、国交正常化以降は「朝鮮、韓国」に変更する。 北朝鮮は不愉快かも知れないが、中韓国交正常化は南北基本合意書や南北国連同時加盟など南北合意を前提としたものであり、南北双方に配慮した呼称変更というのが中国の立場だろう。その意味で今回は北朝鮮への配慮が優先したとも受け止められる。...


<春夏秋冬> 「私の9.11」 鈴木敦夫
二度目のワシントンDC滞在を終え、2001年6月末に帰国。国会議員団のサポートとして、帰国後初の米国出張を命ぜられた。9月11日午前成田発のANA便に搭乗し、10時間以上のフライト。「当機は約1時間でワシントン・ダレス空港に着陸いたします」 ところが、1時間以上経っても機体が降下している感じもない。変だなと思い始めたところに「米国航空当局の情報によれば、現在米国上空は戦争状態にあります」との機内アナウンスが流れた。しばらくして機長から「連邦航空局の指示により、当機はデトロイト空港にダイバートします」。成田離陸後もう15時間以上は飛び続けている。 デトロイト空港に着陸して、拳銃を所持していそうな官憲らしき集団が乗り込んできてコックピット方向に向かう。ハイジャックされていた? SNSも海外携帯も現在とは全く事情が異なる時代のこと。何が起きているのか想像するしかなかった。「ペンタゴンシティに旅客機墜落」「NYツインタワービルに航空機衝突」、断片情報がやっと機内に流れる。 同じくダイバートされた隣のANA・ニューヨーク(NY)便とあわせて約1000人の乗


<春夏秋冬> 対イラン制裁の あおりを受けるイラク 酒井啓子
イランとの戦争が膠着(こうちゃく)化するなか、トランプ米政権はイランへの制裁強化を発表した。これまでも「最大限の圧力」として強い経済制裁を科してきたのだが、さらに対イラン取引相手国に厳しい態度をとるのが今回の制裁だ。 中国やロシアなど対イラン友好国や、周辺国で対イラン経済関係を絶つことができないアラブ首長国連邦(UAE)やイラクが、制裁強化で引っかかる。 イランからの報復攻撃を最も多く受けているUAEは、ハブ港としてイランとの交易は欠かせない。 2018年、最初に対イラン制裁が科された直前の統計によれば、UAEはイラン原油輸入国リストのなかで、日本に次ぐ第7位だった。 なかでも対イラン制裁、さらにはイランとの戦争一般によって大打撃をかぶっているのが、イラクである。 イラク戦争後、多国籍軍の戦後治安回復もままならず、「イスラーム国」(IS)などの武装勢力に悩まされ続けてきたイラクだが、4年ほど前から好景気に沸いていた。ロシアのウクライナ侵攻で石油価格が高騰、国家収入のほとんどを石油輸出に依存するイラクとしては一気に収入が増加したのである。...


<春夏秋冬> 「デジャブ」となるイラク戦争 前嶋和弘
2003年以降、一時撤退の数年をはさみ、イラクに駐留してきた米国軍がこの9月末で完全撤退を決めました。ピーク時の07年には17万人が駐留。米軍にとっては歴史的な節目となります。完全撤退は、バイデン政権末期の24年9月に決まっていました。「ようやく」という感じです。 イラク戦争とその後の駐留とは米国にとって、何だったのでしょうか。フセイン政権が持つ大量破壊兵器を排除することが戦争の大義でしたが、発見されていません。国連安保理でのパウエル国務長官の「スラムダンク(決定的証拠)だ!」という大量破壊兵器工場の写真は、過剰な言葉とは裏腹に何だかわからない施設の像でした。 このパウエルと同じような、いやそれ以上に過剰で稚拙な説明を今回のイラン攻撃ではトランプ政権が繰り返しています。「反撃能力はほとんどない」「イランを石器時代に戻す」「最後通告だ」と威勢は良いが空虚な言葉がトランプ大統領からは続いています。 イラン攻撃の大義は核兵器開発の阻止のはずですが、攻撃を決めた際のイラン側の核濃縮の状況は「すぐにもイスラエルを攻撃可能」とするネタニヤフ首相からの情報だっ


<春夏秋冬> 中国にとって北朝鮮軍 ロシア派兵の意味 平岩俊司
ウクライナのゼレンスキー大統領は、北朝鮮が5万人のロシアへの派兵を予定していると警告した。実際の規模、目的などはまだ明らかではないが、ロ朝関係の緊密化が進んでいる。 ロシアとの緊密化で北朝鮮は、武器弾薬や派兵への経済的見返り、兵器の実戦データ、軍事技術支援、さらにはドローンに象徴される現代戦の経験など莫大なものを得たとされる。 一方、ロシアは、不足する武器弾薬、兵力の補給はもちろん、外交カードとしての北朝鮮を手に入れたと言ってよい。とくにロ朝接近を警戒する中国に対するカードとしても使えることを理解したとされる。いずれにせよロ朝双方とも緊密化を短期的な動きにとどめるつもりはなさそうだ。 では中国はどう見ているのか。2024年9月、中国で半島専門家と意見交換する機会を得たが、中国側は間違いなくロ朝接近を気にしていた。 ただ、警戒しているといった感じはなく、「われわれが与えない軍事技術をロシアからもらうためでしょ」と冷ややかであった。北朝鮮の対外貿易の90%以上を占める中国にロシアが代われるはずはない、軍事技術は提供できても民生品、食料など北朝鮮経済を


<春夏秋冬> ワシントンDC (その二) 鈴木 敦夫
二度目のワシントン長期滞在は米国防大学の国家戦略研究所(INSS)客員研究員として2000年8月からの1年間弱であった。冷戦後の同盟漂流の危機感を経て、1996年の日米安全保障共同宣言、97年の日米ガイドラインの改定、99年の周辺事態法の成立などにより、日米同盟は再定義された。そして、アジア・太平洋地域の平和と安定のための日米防衛協力が強化された。 この時期、防衛庁では、米国とのコミュニケーション強化を図るために、ワシントンの体制を若干変更した。 もちろん、米政府との公式ルートは在米大使館であり、防衛駐在官チームや文官の1等書記官(当時)がその任にあたった。 一方、米国の政策決定プロセスでシンクタンクの役割も小さくなかった。その関係者との交流の一翼を担うのが、防衛庁から派遣されたINSS客員研究員の仕事でもあった。 私がこのポストについた00年夏は、8年間のクリントン政権の後継を決める大統領選挙を11月に控えた時期でもあった。政権が民主党から共和党に交代すれば、それまでシンクタンクなど政府の外にいた共和党関係者が大挙政権入りすることになる。ここに


<春夏秋冬> スペインとパレスチナ 酒井啓子
ワールドカップが終了して3週間。その熱狂も静まりつつあるが、スペインの優勝には中東、イスラム諸国が熱狂した。 中世スペインがイスラム王朝のもとで栄え、アンダルシアに数多くのイスラム遺跡が残されていることは、よく知られている。 また、スペイン・チームの神童と言われ、優勝の立役者であるヤマル選手は、父方がモロッコ系で本人もイスラム教徒であることも、人気の理由のひとつだ。ラミン・ヤマルという名前は、アルアミーン・ジャマルというアラビア語名が語源である。 それだけではない。彼はしばしばパレスチナ国旗を手にしている姿が報じられており、同じムスリム、アラブ系としてパレスチナへの連帯を隠さない。その姿を見たイスラエル占領下のパレスチナ人は大喜び。ヨルダン川西岸に張り巡らされたイスラエルによる分離壁には、パレスチナ旗を掲げたヤマルの巨大な壁画があちこちに描かれた。 瓦礫のなかでもガザの人々は空き地に集まり、決勝戦にくぎ付けだった。アルゼンチンとエジプトの試合でも、ガザの屋外でテレビ放映され、敗退したエジプト・チームの監督がパレスチナ国旗を振ると歓喜の声が上がった


<春夏秋冬> 「NATO3.0」と日米同盟 前嶋和弘
月上旬に開かれた北大西洋条約機構(NATO)の首脳会議は集団防衛義務を再確認する首脳宣言を採択し、結束を演出しました。ただ、NATO脱退を持論とするトランプ大統領の脱退宣言が現実にならなかったことが各国にとっての「最大の成果」だったように思えます。 この会議を規定したともいえる「NATO3.0」という言葉があります。米国防総省のコルビー国防次官(政策担当)が今年2月、NATO国防相会合で唱えた概念です。 「1.0」は東西冷戦期に旧ソ連の脅威に備えるために米国が欧州防衛の中核を担った時代。「2.0」が冷戦後にNATOが加盟国以外も含めた対テロや平和維持活動に従事した時代。そして、「3.0」とは米国が中国との覇権争いのためにインド太平洋など他地域に政治・軍事資源を移す時代です。昨年末に公表した国家安全保障戦略の本土防衛と西半球重視の方針と一致します。 コルビー次官は「1.0」の時代が理想的だったと。加盟国は率先して行動し、米国の過度な負担とならなかったためです。 ウクライナ侵攻の次のロシアの動きを警戒する欧州諸国にとっては、トランプを怒らせて、NAT


<春夏秋冬> 韓国人の矜持としての サッカーW杯 平岩俊司
朝から晩までサッカーである。世界中がワールドカップに熱狂しているのだろう。私のような関心のない人間でさえ、白熱したゴールシーンに思わず声が出る。そんな魅力がサッカーにはある。だからナショナリズムを刺激し、時に過度な反応が出てしまう。大統領が代表監督を批判し、サッカー協会会長と監督の国会公聴会まで行われる韓国がまさにそうだ。 韓国人の誇りは2002年ワールドカップでベスト4となったことだ。意外かも知れないが、それまでアジア最高位は北朝鮮だった。参加国数も制度も違うが、1966年のロンドン大会で北朝鮮はベスト8となり、奇跡と称された。 だからこそ韓国は北朝鮮を超えたかったはずだ。それが2002年のベスト4だ。友人の何人かが「北朝鮮を超えた」と興奮していた。すべての韓国人がそれを意識したとは思わないが、多くの韓国人にとっては南北関係の文脈でもサッカーは格別なのだろう。 サッカーを通した南北交流もあった。世界的冷戦終結の潮流のなかで、1990年にソウルと平壌でサッカー親善試合が行われた。結果は1勝1敗。そして91年ワールドユース選手権(現U―20W杯)で


<春夏秋冬> ワシントンDC(その一) 鈴木敦夫
1989年7月、1年間を条件に防衛庁から留学させてもらえるという幸運を得た。行き先は米国ワシントンDCにあるジョージタウン大学。その後出張で何十回と訪れるDCであるが、この時が初めてであった。 当時は、日米貿易摩擦の真っただ中、日本企業によるロックフェラー・センター買収、防衛面ではFSX(次期支援戦闘機)を巡る日米交渉など、良きにつけ悪しきにつけ、日本・日本人が米国で大変注目されていた。当時の私でも入学が許可されたのはこうした背景があると思う。 大学では国家安全保障学修士を取得できたが、国際関係論や外交史だけでなく、防衛に関する講座の充実ぶりも私には極めて新鮮であった。ただし、末期とは言え冷戦中である。米国以外の地域研究は、少数の中南米の講義を除けば、ほぼソ連に関するものばかり。ソ連軍の軍事ドクトリン、ソ連の対東欧外交政策、WTO(世界貿易機関ではなくワルシャワ条約機構である)。まだ、少なくとも安全保障面では、中国も北朝鮮も登場していなかった。中国は同年6月に天安門事件を起こしたばかりである。当時のジョージタウン大学の名物教授の一人に、後に国務長


<春夏秋冬> サッカーと戦争 酒井啓子
今年のワールドカップには、中東の国々が多く参加している。アジア枠が増えたせいもあるが、もともと中東諸国ではサッカーが盛んだ。イランはその代表格で、ワールドカップ初出場は1978年と日本より20年も早い。その後、今回を含めて6回も出場しており、98年の初勝利の相手が米国だったのは、不思議な縁だ。 イランと同様に長くサッカー大国だったのが、隣国イラクだ。ワールドカップ出場は86年だったが、その後湾岸戦争、経済制裁、イラク戦争、IS(イスラム国)の侵攻と、相次ぐ戦争や内戦で成績をあげるどころか、練習すらできない環境に置かれてきた。それが今年、40年ぶりの出場を果たしたことで、国内は歓喜に沸いている。 イラクのサッカーチームには、戦争の影が付きまとう。エースストライカーで、今回ノルウェー相手に初得点を挙げたアイマン・フセインは、父親をアルカイダに殺され、誘拐された兄弟は戻ってきていない。 一家の出身地はキルクークという世界有数の石油産出地で、アラブ人、クルド人、トルコマン人と異なる民族が住み、歴史的には民族間衝突も少なくなかった。少数派のアラブ民族である


<春夏秋冬> 39年前の公開書簡 前嶋和弘
1987年9月2日のことです。『ニューヨーク・タイムズ』など3つの主要紙に丸々1ページを使う特大の公開書簡広告が掲載されました。 この書簡は「日本や他の国はアメリカを何十年もの間、食い物にしてきた」という衝撃的な言葉で始まります。「日本はアメリカへの輸出促進のためにドル高をしたたかに誘導してきた」「自国防衛をアメリカに任せ、日本はその分、自国の経済を発展させた」などの言葉がつづられています。 すでに想像できるかもしれません。この書簡を書き、広告を掲載させた人物の名前は、ドナルド・J・トランプです。当時はまだ41歳。若き不動産王として当時もメディアの寵児(ちょうじ)でした。 あれから39年。多少の変化もあったかもしれませんが、この書簡にあるトランプの対日観は、第2次政権の現在までも本質的には変化していないようにみえます。 トランプ大統領は過去に何度も、日米安保条約に対する不満を明らかにしてきました。その中心にあるのが「アメリカ人が血を流すのに日本人は流さない。日米同盟は片務的で不平等だ」という考え方です。 日米安全保障条約はいうまでもなく片務的なも


<春夏秋冬> 米中首脳会談で揺れる朝鮮半島 平岩俊司
7年ぶりに習近平主席が北朝鮮を訪問した。中朝首脳会談で非核化に言及がなかったことから、中国が北朝鮮の核保有を黙認したとの見方がある。 しかし、昨年9月の金正恩総書記訪中の際も非核化について言及がなかったので、今回はある意味予想通りといえる。一方、中国は自らの姿勢に変化はないとの立場である。 言うまでもなく中朝首脳会談の前提にはトランプ大統領の訪中がある。米国側は米中首脳会談の成果文書を発表し、北朝鮮の非核化という「共有された目標」を確認したとした。これに対して金正恩総書記の実妹、金与正部長が「荒唐無稽な虚偽」として猛反発した。真実はどこにあるのか。 中国は、北朝鮮の核問題は米朝関係に起因するとの見方をする。2006年10月に北朝鮮が初めての核実験を行ったが、その後、中国側の働きかけで07年にベルリンで米朝協議が行われた。 当時、中国人専門家と意見交換する機会があり、「米朝協議は北京で行われるものと思っていたが?」と聞くと、「不愉快だが方向性は間違っていない。米朝協議がこの問題の核心だから」と。続けて「ただ簡単にうまくいくとは思えない。そのときは中


<春夏秋冬> 1976年から50年 鈴木敦夫
50年前の1976年は、その後長く日本の安保防衛政策に大きな影響を与えた重要な決定がなされた年であったことはよく知られている。「基盤的防衛力構想」「防衛費GNP(国民総生産)1%枠」「武器輸出禁止」の三つである。 余談ではあるが、防衛白書が現在のように毎年発行されるようになったのもこの年である。 76年2月の衆議院予算委員会で当時の三木武夫首相から「武器輸出に関する政府統一見解」が表明され、「慎むものとする」がその後の武器輸出全面禁止につながっていく。 10月には最初の「防衛計画の大綱」が閣議決定され、「基盤的防衛力構想」が採り入れられる。11月にはいわゆる「GNP1%枠」が閣議決定された。 この1%枠は87年に廃止の閣議決定がなされているのだが、防衛費はその後もほぼ1%を超えることがなかったので、多くの人々はこの1%枠閣議決定が引き続き維持されているものと誤解していたほどであった。これが2022年の国家安全保障戦略の中で国内総生産(GDP)2%という新たな指標が示された。 「基盤的防衛力構想」については、09年に閣議決定された「大綱」でこれには


<春夏秋冬> 王国と首長国の差 酒井啓子
UAE(アラブ首長国連邦)は、その名の通り7つの首長国の連邦である。なぜ首長国なのか、というと、元首の称号がアミール(首長)だからで、国名もエマラート(アミールの統治する国)となる。ドバイの航空会社「エミレーツ」は、ここに由来する。 他方、隣国のサウジアラビアは国王のいる「王国」である。どう違うのか。サウジは18世紀以降、サウド一族を中心にアラビア半島の諸部族を平定し、1932年に王国として独立した。一方でUAEの諸首長は、湾岸地域の諸部族の長が19世紀にアジア進出を図るイギリスと協定を結び、その庇護(ひご)下で権力を確立した。
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