<春夏秋冬> サッカーと戦争 酒井啓子
- 1 日前
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今年のワールドカップには、中東の国々が多く参加している。アジア枠が増えたせいもあるが、もともと中東諸国ではサッカーが盛んだ。イランはその代表格で、ワールドカップ初出場は1978年と日本より20年も早い。その後、今回を含めて6回も出場しており、98年の初勝利の相手が米国だったのは、不思議な縁だ。
イランと同様に長くサッカー大国だったのが、隣国イラクだ。ワールドカップ出場は86年だったが、その後湾岸戦争、経済制裁、イラク戦争、IS(イスラム国)の侵攻と、相次ぐ戦争や内戦で成績をあげるどころか、練習すらできない環境に置かれてきた。それが今年、40年ぶりの出場を果たしたことで、国内は歓喜に沸いている。
イラクのサッカーチームには、戦争の影が付きまとう。エースストライカーで、今回ノルウェー相手に初得点を挙げたアイマン・フセインは、父親をアルカイダに殺され、誘拐された兄弟は戻ってきていない。
一家の出身地はキルクークという世界有数の石油産出地で、アラブ人、クルド人、トルコマン人と異なる民族が住み、歴史的には民族間衝突も少なくなかった。少数派のアラブ民族であるアイマン一家に苦労が尽きなかったことは、想像に難くない。
だが、大きなサッカー大会のたびに強調されるのが、イラク・サッカーチームの多民族共存だ。2007年、戦後の内戦さなかにあったイラクは、アジアカップで優勝した。
このとき得点に絡んだ主軸選手は、クルド人、アラブ人のスンナ派、シーア派と、それぞれ異なる出自を持っていた。
内戦では、そうした出自の違いを巡ってお互いに殺し合いが続いていたのに、ピッチのなかでは互いに協力し優勝という栄誉をつかんだのだ。この勝利は、当時のイラク人すべてに希望と自信を与えたと言われている。
戦争や内乱はサッカー選手の人生を大きく変える。イラン代表チームは試合以外米国内に滞在できないという不自由を余儀なくされている一方で、米国による攻撃の口実にもなった今年初めのイランの反政府デモでは、有力選手のひとりが殺された。
イランの選手たちが政治に巻き込まれず、堂々とサッカーができるようになる日はいつ来るのか。
(千葉大学特任教授)








