<春夏秋冬> 1976年から50年 鈴木敦夫
- 6月10日
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50年前の1976年は、その後長く日本の安保防衛政策に大きな影響を与えた重要な決定がなされた年であったことはよく知られている。「基盤的防衛力構想」「防衛費GNP(国民総生産)1%枠」「武器輸出禁止」の三つである。
余談ではあるが、防衛白書が現在のように毎年発行されるようになったのもこの年である。
76年2月の衆議院予算委員会で当時の三木武夫首相から「武器輸出に関する政府統一見解」が表明され、「慎むものとする」がその後の武器輸出全面禁止につながっていく。
10月には最初の「防衛計画の大綱」が閣議決定され、「基盤的防衛力構想」が採り入れられる。11月にはいわゆる「GNP1%枠」が閣議決定された。
この1%枠は87年に廃止の閣議決定がなされているのだが、防衛費はその後もほぼ1%を超えることがなかったので、多くの人々はこの1%枠閣議決定が引き続き維持されているものと誤解していたほどであった。これが2022年の国家安全保障戦略の中で国内総生産(GDP)2%という新たな指標が示された。
「基盤的防衛力構想」については、09年に閣議決定された「大綱」でこれには「よらず」とされたのである。その後の大綱などでさまざまな防衛力整備構想が展開されてきた。
そして、我が国の武器輸出政策に関しては、今年4月の「装備移転三原則」などの改正により、国際標準に戻った。
思えば、先輩後輩を含め私と同世代の防衛官僚は、これら1976年政策の呪縛への取り組みに明け暮れたのかもしれない。
入庁した85年には前々年に武器輸出禁止の初めての例外措置とした対米武器技術供与の担当課に配属された。
次のポストでは陸自業計担当の見習いとして1%枠突破に際会した。その後、さまざまな経験を経て、最後には事務次官として2022年の「安保3文書」にも関わることができた。
ここまでの歩みはいわば1976年以前にリセットされただけであろうという斜に構えた見方もあるかもしれない。防衛を巡る課題はこれからも山積みであろう。国際安全保障環境の流動化も、現状では、相手サイドの伸張によるものだけでなく、パートナー側に起因する流動化も著しい。
今年、2026年も年末までに多くの重要な安保政策の策定が予定されている。
(元防衛事務次官)







