<春夏秋冬> ワシントンDC(その一) 鈴木敦夫
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1989年7月、1年間を条件に防衛庁から留学させてもらえるという幸運を得た。行き先は米国ワシントンDCにあるジョージタウン大学。その後出張で何十回と訪れるDCであるが、この時が初めてであった。
当時は、日米貿易摩擦の真っただ中、日本企業によるロックフェラー・センター買収、防衛面ではFSX(次期支援戦闘機)を巡る日米交渉など、良きにつけ悪しきにつけ、日本・日本人が米国で大変注目されていた。当時の私でも入学が許可されたのはこうした背景があると思う。
大学では国家安全保障学修士を取得できたが、国際関係論や外交史だけでなく、防衛に関する講座の充実ぶりも私には極めて新鮮であった。ただし、末期とは言え冷戦中である。米国以外の地域研究は、少数の中南米の講義を除けば、ほぼソ連に関するものばかり。ソ連軍の軍事ドクトリン、ソ連の対東欧外交政策、WTO(世界貿易機関ではなくワルシャワ条約機構である)。まだ、少なくとも安全保障面では、中国も北朝鮮も登場していなかった。中国は同年6月に天安門事件を起こしたばかりである。当時のジョージタウン大学の名物教授の一人に、後に国務長官になる著名なソ連専門家であるマデレーン・オルブライト教授がいた。
11月9日にはベルリンの壁が崩壊する。その後ソ連の東欧支配は急展開していく。私がとっている授業の中でも、教科書以上に、日々のソ連や東欧での出来事が議論されるようになった。米国外交も冷戦の幕引きに向けて外交が活発になっていく。
DCの中心部に、ワシントン記念塔を中心に国会議事堂、ホワイトハウス、リンカーン記念堂に囲まれ、またそれらの施設が見渡せるナショナル・モールという公園がある。ここに立つと、単なる留学生であるのに、自分が世界政治の中心にいるようで気分が高揚したものである。
1年間の留学生活もほぼ終了に差し掛かった90年8月2日にはイラクのクウェート侵攻が発生する。この出来事も後に日本の安全保障政策を大きく変えていくことになる。
懸命に学んだソ連・ソ連軍があっという間に過去の歴史になってしまったことはいささか空しかったが、ジョージタウンで多くの友人と知り合えた。外務省の吉田朋之氏とは後に同じ国会担当審議官として一緒になった。韓国陸軍のパク・チョルギュン氏とは2015年の日韓安全保障対話でカウンターパートであった。駐日米国臨時代理大使を務めたジョゼフ・ヤング氏も同じ時期にジョージタウンで学んだ。
(元防衛事務次官)








