<春夏秋冬> 「私の9.11」 鈴木敦夫

二度目のワシントンDC滞在を終え、2001年6月末に帰国。国会議員団のサポートとして、帰国後初の米国出張を命ぜられた。9月11日午前成田発のANA便に搭乗し、10時間以上のフライト。「当機は約1時間でワシントン・ダレス空港に着陸いたします」
ところが、1時間以上経っても機体が降下している感じもない。変だなと思い始めたところに「米国航空当局の情報によれば、現在米国上空は戦争状態にあります」との機内アナウンスが流れた。しばらくして機長から「連邦航空局の指示により、当機はデトロイト空港にダイバートします」。成田離陸後もう15時間以上は飛び続けている。
デトロイト空港に着陸して、拳銃を所持していそうな官憲らしき集団が乗り込んできてコックピット方向に向かう。ハイジャックされていた? SNSも海外携帯も現在とは全く事情が異なる時代のこと。何が起きているのか想像するしかなかった。「ペンタゴンシティに旅客機墜落」「NYツインタワービルに航空機衝突」、断片情報がやっと機内に流れる。
同じくダイバートされた隣のANA・ニューヨーク(NY)便とあわせて約1000人の乗客が機内に缶詰め。後日知るが、この大人数を収容できるホテルを急遽探していたのだ。降機して、大型バスでホテルに向かう車中のテレビ画面を見て、何が起きたのか徐々に理解し始める。
ホテル到着後、皆がロビーの公衆電話に飛びつく。私も無事を伝え、予定の出張行事は全てキャンセルと知る。翌朝、乗客が、NY・ワシントン方面に陸路でも向かう人々と日本に戻るグループに分類される。私は後者で帰国便の再開を待つ。
帰国便にもドラマが。何とか成田への便のめどがたって、デトロイト空港で待っていると、NY・JFK空港再開の知らせ。
これで、デトロイト→NY→成田が可能となり、帰国希望者のためまずNYを目指すことに。燃料満載ではNY着陸時に機体の脚に負担がかかるため、給油した燃料を抜き始めた。この作業の間にJFK空港はテロ容疑者拘束で再び閉鎖。結局デトロイトから直接成田に向かうことに。
そのため再給油。出発が遅れると成田到着は深夜。成田では深夜離着陸は禁止? のうわさも出回ったが、何とか出発。深夜23時過ぎに成田到着。一生忘れられない米国出張となった。
デトロイト郊外のホテルから空港までの車中から見た光景が今でも目に焼き付いている。ほとんど車も人も動いていないひっそりとした街並みの中、ほぼ全ての家々に黄色いリボンが掲げられていた。私には米国民の怒りを象徴しているように思えた。唯一の超大国米国の変質の始まりだったかもしれない。
(元防衛事務次官)








