<春夏秋冬> ワシントンDC (その二) 鈴木 敦夫

二度目のワシントン長期滞在は米国防大学の国家戦略研究所(INSS)客員研究員として2000年8月からの1年間弱であった。冷戦後の同盟漂流の危機感を経て、1996年の日米安全保障共同宣言、97年の日米ガイドラインの改定、99年の周辺事態法の成立などにより、日米同盟は再定義された。そして、アジア・太平洋地域の平和と安定のための日米防衛協力が強化された。
この時期、防衛庁では、米国とのコミュニケーション強化を図るために、ワシントンの体制を若干変更した。
もちろん、米政府との公式ルートは在米大使館であり、防衛駐在官チームや文官の1等書記官(当時)がその任にあたった。
一方、米国の政策決定プロセスでシンクタンクの役割も小さくなかった。その関係者との交流の一翼を担うのが、防衛庁から派遣されたINSS客員研究員の仕事でもあった。
私がこのポストについた00年夏は、8年間のクリントン政権の後継を決める大統領選挙を11月に控えた時期でもあった。政権が民主党から共和党に交代すれば、それまでシンクタンクなど政府の外にいた共和党関係者が大挙政権入りすることになる。ここにもシンクタンク巡りの意義があった。
また、96年の中台危機、90年代の北朝鮮の核・ミサイル問題などで、米国にとっても、安全保障上、中国、北朝鮮の注目度が一段と高くなっていた。これらの地域を扱う有識者との意見交換からも大いに刺激を受け学ばせてもらった。
「アーミテージ・ナイレポート」が発表されたのもこの時期である。日米同盟を米英の特別な関係に比肩する成熟したパートナーシップに進化させることを目指すものであった。
このレポートはあくまで超党派の知日派の執筆グループの見解ではあるが、大統領選直前の10月に発表されたのは、選挙結果に関わらず、新政権で日米関係をさらに強化したいという関係者の強い思いの表れだった。
この最初のアーミテージ・ナイレポートはINSSから発行された。INSSにおける私のメンターでもあるプリツタップ氏が最終取りまとめを担当した。
大接戦の大統領選を経てブッシュ新政権が誕生した。執筆メンバーのアーミテージ、ウォルフォウィッツ両氏を筆頭に、ケリー、パターソン、グリーン各氏も執筆メンバーから政権入りした。
日米安保協力を新たな段階に高めるべく、米側関係者の意欲が満ちあふれていた。このレポートについては毀誉褒貶(きよほうへん)があるが、いま振り返れば、米国の対日政策の予見性の象徴でもあった。
(元防衛事務次官)








