時の焦点<海外> 建国250年の米
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余裕なくした超大国
G7サミット(主要7カ国首脳会議)開幕前日の6月14日、トランプ米大統領は80歳の誕生日を迎えた。昨年、就任時では史上最高齢の大統領として表舞台に戻ったトランプ氏の下で、米国はまもなく7月4日の建国250年を迎える。
イラン戦争の重荷、激しい党派対立、国民の政治不信。分断された米国社会にとって、一体感を取り戻せるかどうかが問われる日である。
同じような状況にあったのが、50年前の建国200年記念日だ。
1976年、独立宣言が採択されたペンシルベニア州フィラデルフィアで演説した当時のフォード大統領は、ワシントンやジェファーソン、リンカーンら歴代大統領が米国社会の融和にいかに腐心したかをたたえ、「独立宣言」「合衆国憲法」という言葉を10回以上使って、自由・平等・独立を旗印に専制政治と決別した誇るべき移民の国の歴史を強調した。
国民は、その15年前に史上もっとも若い43歳で大統領になったケネディ時代に想いをはせていただろう。就任演説で、ケネディは「団結していれば、私たちがともに取り組む多くの事業において、なしえないことはほとんどありません。しかし、分裂していては、ほとんど何ごともなしえないのです」と同盟国に訴えた(岩波文庫『アメリカ大統領演説集』)。
ケネディ以降、米国はベトナム戦争の泥沼に足を取られ、ウォーターゲート事件で大統領の権威は失墜。政治不信と社会の分断はかつてなく高まっていた。独立記念館前に立ったフォード大統領は全国民を統合するリーダーとして、建国の理念に立ち返る必要を国民に語りかけたのである。建国200年の米国は分裂の深い傷を癒やし、団結と融和で輝かしい未来に再び向かっていく「復元過程」にあった。
果たして建国250年の米国に、復元力は残っているだろうか。
トランプ氏は、ワシントンの文化施設ケネディセンターに自分の名前を追加して裁判で削除を求められたり、自分の顔を印刷した250ドル記念紙幣発行や支持者の大規模集会開催を明らかにしたり。イランとの戦争も結局は米国社会の亀裂を広げただけだった。
いきなり近代国民国家として出発した米国は、欧州やアジアの国のような国民を統合する伝統や文化がない。それに代わって国家をつなぎとめてきたのが自由や平等や民主主義という建国の思想であり、それを掲げて走り続けるしかない「理念の共和国」と言われてきたゆえんなのだ。
だが、余裕をなくした今の米国に「理念の共和国」の面影はない。世界の警察官の座から降り、自由貿易の被害者であるかのように振る舞う米国が最高齢大統領と共にどこに向かうのか。答えは誰にもわからない。
建国の理想をこのまま見失ってしまうなら、米国は漕ぐのをやめた一輪車と同じになる。
高旗 良(外交評論家)







