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「浜松救難隊」救難員に聞く 救助者から感謝の言葉(2025年6月)
2025年7月8日更新
インタビューに答える野口2曹(左)と本間3曹
本間3曹による要救助者収容後、追って機内に戻る野口2曹
救難員の胸につけられた(上から)救難員、空挺、レンジャー、航空士の徽章。このほかにスキューバやスキー、格闘などの能力をもつ救難員もいる
過酷な状況下で、自衛隊内で発生した事故の捜索・救助にあたる「航空救難隊」。同隊には、UH60J救難ヘリやU125A救難捜索機に搭乗して要救助者の収容を行う「救難員」がいる。彼らは航空自衛隊員として選抜試験に合格したうえで、救難教育隊(小牧)の救難員課程で過酷な訓練を耐え抜いた精鋭。航空自衛官でありながら空挺、レンジャー、スキューバなどの山岳、海上など活動場所を問わず救助に挑む救難のスペシャリストだ。浜松救難隊の救難員、野口敬史2曹と本間隼人3曹に話を聞いた。
訓練で自分の限界を経験
――救難員を目指したきっかけは?
野口2曹 私は愛知県出身で、学生時代から同県に所在する救難教育隊の特集を何度か目にしていました。6空団(小松)で武器弾薬整備員として勤務していた際、格納庫の前に停まる救難ヘリを見て「これ前に(特集で)見たやつ」と思い出していたら、そこに救難員が走ってきたのを見て、「かっこいい!あれだ!」と思い、目指しました。
本間3曹 父が航空自衛官だったので、災害派遣などの話を聞く中で救難隊の存在を知りました。入隊後、岐阜基地の消防班で勤務していた際に、救難員課程に入っていた先輩が赴任してきて救難教育隊の話を聞き、「自分もなりたい」と思いました。救難員になったことを父に報告すると、すごく喜んでくれました。ただ「絶対に空では死ぬな」と。
――きつかった訓練は?
野口 夏季山岳総合という、・・・