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化学学校化学教導隊元副隊長の宮澤氏語る(2025年4月1日)

2025年4月10日更新


101化学防護隊員だった当時、1991年2月17日号の「毎日グラフ」誌に掲載された自身を指差し、説明する宮澤氏(4月6日、埼玉県坂戸市)


化学防護衣と防護マスクを着用し、除染剤が入ったタンクと噴霧器を携行した宮澤3曹(当時・中央右)以下3人の101化学防護隊員と警察関係者(右奥3人)が築地駅に突入する瞬間(1995年3月20日、地下鉄日比谷線築地駅入口)=陸自提供

 陸自化学学校化学教導隊元副隊長の宮澤重夫にとって、「3月20日」は特別な意味を持つ。2011年3月20日には福島第1原発4号機で冷却作業の最前線を指揮した。陸自初の鳥インフルエンザによる災害派遣では04年3月20日に出動し、陸自に入隊したのも3月20日だ。「運命のようなものを感じる」と話す宮澤は1995年3月20日、地下鉄サリン事件の現場に立っていた。(寉見陽平)

恐怖と緊張の除染作業

 「みやちゃ~ん、悪いんだけど、明日、朝霞駐屯地に防護マスクを運んでくれないか」

 95年3月17日金曜日の午後7時ごろ、当時101化学防護隊(現・中央特殊武器防護隊)情報小隊の偵察班長だった宮澤は、勤務先である大宮駐屯地近くの自宅で、一本の電話を上官から受け取った。

 翌18日土曜日の午前8時ごろ、部隊に出向くと20~30人の隊員が化学学校の一室に集められ、「防護マスクを運ぶ」という任務は隊員を集める口実だった。

 幹部から「明日(19日)まで特別任務になる。どうしても都合が悪いものは、今すぐこの部屋から出るように」と告げられ、宮澤はその時「これは極秘任務だ」と悟った。

 化学科の装備品である検知・防護器材を準備、車両に速やかに載せた。朝霞駐屯地に向かった隊員らは翌19日日曜日、体育館で警視庁の機動隊員に器材の取り扱いについて教育、そのまま器材を貸し出して任務は終了した。後日、この極秘任務は22日に警察がオウム真理教の教団施設を強制捜査するための準備だったことが分かった。

 運命の3月20日月曜日、宮澤は幹部候補生試験の勉強のため駐屯地にいた。・・・

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