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前事不忘 後事之師

孫子とクラウゼビッツ

カール・フォン・クラウゼビッツ (1780年~1831年)

 最近、戦略論について議論することがあり、二人の方から「孫子の兵法」の方がクラウゼビッツの「戦争論」より優れているとの意見が出されました。一人は、孫子の熱心な研究者で、その立場からのクラウゼビッツに対する批判であり、もう一人は、経済、歴史、文化に造詣の深い大学名誉教授で、孫子に代表される抑制的な東洋の兵法の方が、クラウゼビッツに代表される西洋の兵法より優れているとの見解でした。

 確かにいろいろな視点から、二つの戦略思想を比較することは可能ですが、今行われているロシアとウクライナとの戦争を分析するのなら、クラウゼビッツの戦争論は、読まれるべきと私は考えます。

 ロシアとウクライナとの戦争は、表面的には、両国を当事者とする熾烈な戦争ですが、その内実は、米国を中心とするNATOとロシアとの間の“限定戦争”だと思います。もちろんロシア軍と果敢に戦っているのは、ウクライナ軍です。しかしながら、そのウクライナ軍を支えているのは、米国を中心とするNATO諸国であり、ウクライナ軍がどの程度ロシア軍を撃退できるかは、これら諸国からの兵器供与などの支援がどの程度なされるかによって左右されます。しかし、これまでのところ、米国などからの支援は慎重かつ限定的です。供与される兵器の数量は多くはありませんし、供与されるミサイルなどの射程も短いと報道されています。このため、ウクライナ側のロシアへの反撃も限定的です。米国などからの支援が慎重な理由は、大規模かつ急速なウクライナ支援を行い、ウクライナがロシアを全面的に撃退させる事態になれば、追い詰められたロシアの反応が不透明だからです。核戦争の危険もないわけではありません。

 ロシアの戦いぶりも奇妙です。ロシアの攻撃目標の考え方が欧米と異なるのかもしれませんが、ウクライナの民間施設を激しく攻撃しながらも、首都キーウの大統領府や国防省など政府中枢への全面的な攻撃は行われていません。またロシア国内への配慮からなのでしょうが、ロシアは総動員令を発出せずに、「特別軍事作戦」の対応です。ロシア側にもNATOとの直接的戦争を避けるとの思惑があるのでしょう。いずれにしても、この戦争は、報道される悲惨さやロシアの冷酷な振る舞いとは裏腹に、NATO側とロシアの双方が核を保有している状況を前提にしながら政治によって統制された限定戦争です。

 クラウゼビッツは、「戦争論」の中で、戦争を「抽象の世界の戦争」と「現実の世界の戦争」の二つに分類し、概ね次のように説明します。抽象の世界の戦争は、拡大された「決闘」であり、決闘を行う二人の間の相互作用により、どちらかが相手を打倒する「極限」に至る。戦争が自己目的化し、敵の殲滅を目指す傾向があるのは、この相互作用の結果である。しかし、戦争がこのような極限に至るのは、抽象の世界においてであって、現実の戦争では、極限に向かうことを緩和する作用が働き、ほとんどの場合に、どちらかが相手を完全に打倒する状況にはならない。それは、戦争が政治の手段であり、極限に向かう傾向のある戦争を政治がコントロールするからである。

 このようなクラウゼビッツの分析は、今のロシアとウクライナの戦争について考える大きなヒントを提供していると思います。

 私は、孫子の兵法は、「利」や「欲望」に弱いという人間の弱点を突いて、戦いにおいて有利な状況を作る方法を示す“高級ハウツー本”だと考えます。他方で、クラウゼビッツの戦争論は、「偶然」と「霧」が支配する戦場においては、戦争に勝てる手ごろな方法などないとして、むしろ戦争そのものについて哲学的な解明を行ったもので、だからこそ、ロシアとウクライナの戦争の本質を考える上で、有益なヒントを与えてくれるのです。

 クラウゼビッツの分析を私流に要約すれば、「政治が戦争を統制できなければ、戦争には、敵対する同士間の「相互作用」により、相手の打倒を目指す“暴力の極限”に向かう傾向が内在している」ということになります。ロシアの力による現状変更を許さないことと暴力の極限に至らないようにすること、さらには戦争を早期に終結させること、この三次方程式を解くのは簡単ではないと私は考えます。

 鎌田 昭良(元防衛省大臣官房長、元装備施設本部長、防衛基盤整備協会理事長)

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