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前事不忘 後事之師

第69回 国際政治における道義の実現

  ジョセフ・ナイ著『国家にモラルはあるか』(早川書房刊)

 ドイツの哲学者ニーチェは、「お前が永いあいだ深淵をのぞきこんでいれば、深淵もお前をのぞきこむ」と述べています。

 第二次世界大戦を戦った主要国の指導者が行った国益追求のための冷徹な振る舞いを見ていると、ついその暗い深淵に飲み込まれて、国際政治で物を言うのは軍事力を中心とするハードパワーで、道義は関係ないと考えてしまいそうになります。

 実際、アメリカの国際政治学者の一人は「世界政府のない自助の世界で生きる諸国家にとって、生存する最善の道は、たとえそのために無慈悲な政策の追求を要するとしても、可能なかぎり強力になること」と述べています。しかしながら、米国クリントン政権で国防総省の高官を務め「東アジア戦略報告」を策定した国際政治学者のジョセフ・ナイは、その著書『国家にモラルはあるか』において、国際政治において完全に道義を無視する考えは道徳的な価値を全面的に適用しようとする考え同様に短絡的であると主張し、国際政治では剣だけに力があるのではなく、道義的な言葉にも力があり、剣のほうがすばやく動かせるように見えても言葉には人の心を変える力があると述べています。

 ナイは、著書の中で第二次大戦中にルーズベルト大統領が構想し、トルーマン大統領が実現した国際連合などの戦後秩序は力の役割のみを優先する冷徹なリアリズムだけでは説明できず、アメリカ外交の伝統である道徳主義的理想が背景にあったと解説します。

 私がナイの著書を読んで強い印象を受けたことの一つは、国際政治において指導者は倫理的な動機に基づき行動することが重要であるとしながらも、「結果」が大切だと主張している点です。ナイはドイツの思想家マックス・ウェーバーが唱えた「信念倫理」と「責任倫理」という二つの概念を使ってこれを説明します。「信念倫理」とは不正なことは一切拒否するという信念からなされた行為ならその結果責任は行為者ではなく神に委ねるというものであるのに対し、「責任倫理」はたとえ純粋な心情から行われた行為であっても人は“予見しうる結果”の責任を負うべきであるというものです。

 ナイは国際政治の世界ではこの二つの倫理のうち「責任倫理」――たとえ動機が道徳的に正しいものであっても結果が悪ければ重大な責任がある――が重要であると説明します。ナイは2003年のジョージ・W・ブッシュ大統領が行ったフセイン政権打倒のためのイラク戦争は世界を善と悪の二元論で見たブッシュの道義的直観に衝き動かされた面が大きいと分析し、その道義的純粋さは必ずしも批判しないものの、中近東に大混乱を生み出した結果は責任倫理の観点から重大な問題があったと述べます。ナイは外交政策における問題は、その状況の複雑さにあり、指導者には道義的な政策を構築するにあたり「状況を把握する知性」と「慎重さ」という資質が重要であるが、ブッシュ大統領はその双方が欠けていたと低評価です。

 前述した思想家ウェーバーは人々が信念を持つことに敬意を払いながらも、政治に“純粋さ”を持ち込むことの危険を警告しています。私達は個人が信念に殉じた場合にはそれに高い評価を与えるので、その類推から国家も同様に行動すべきと考えがちですが、国民の生命を守ることが使命の国家であればむしろそうした純粋さは危険です。

 先般、アフガニスタンから米軍が撤退し、タリバンが首都カブールを陥落させたという事件がありました。米軍のアフガニスタンへの攻撃は9・11テロへの対応に端を発するものであり相応の正当性があり米国民の強い支持もありましたが、一時の道義的な信念に衝き動かされて、イラク戦争同様に「慎重さ」と「状況を把握する知性」に欠けていたように思います。

 イタリアの思想家マキャベリは「君主には策略の罠を知り尽くすキツネの能力(状況を把握する知性と慎重さ)とライオンの能力(力)の両方が必要だ」と述べています。マキャベリは外交政策の大半は道義にもとるものだと主張したので、彼を引用するのは、矛盾するかもしれませんが、国家が国際社会で道義を実現しようとする上でもマキャベリが言った二つの能力が不可欠なのではないでしょうか。

鎌田 昭良(元防衛省大臣官房長、元装備施設本部長、防衛基盤整備協会理事長)

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