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前事不忘 後事之師

第121回 英米覇権交替劇

 20世紀前半の世界史的事件と言ったら、何を挙げるでしょうか。常識的な答えなら、第1次世界大戦、ロシア革命、第2次世界大戦、中国革命といったところでしょう。

 中西輝政京都大学名誉教授は「アジアをめぐる大国興亡史」において、20世紀初頭におきたイギリスからアメリカへの覇権交替という事象こそ上記の出来事の背後に存在した重大事案であり、これを看過すると、20世紀世界史の全体像は把握できないと主張します。

 中西は、英米関係を語る上で欠かせないのは、三つの戦争―アメリカ独立戦争、南北戦争、20世紀における二つの世界大戦―であると述べます。このうち南北戦争について言えば、「パックス・ブリタニカ」の絶頂期の英国首相パーマストンは、南北戦争を、イギリスの覇権にとって将来の「挑戦国」になり得る米国を弱体化させる格好の機会と捉えました。彼は南部連合を支援し、米国の中心勢力である北部をこの機会に叩き潰そうとし、可能ならば米国をいくつかの国に分裂させることを考えました。しかしながら、英国国内の民主化勢力が、北部が唱える奴隷解放の理念に賛同したため、英国の内閣は分裂し、パーマストンの構想はついえます。

 20世紀の二つの世界大戦のうち英米関係にとってより重要なのは、第1次世界大戦でした。19世紀半ば以来、世界の銀行と言われた英国は、第1次大戦勃発の当初より欧州大陸に多大な戦力を投入すると同時に、連合国側のリーダーとしてフランスやイタリア、ベルギー、ロシアなどに莫大な(ばくだい)戦費を貸し出し、ドイツ・オーストリアとの戦いを継続させました。ところが、第1次大戦は、予想を超える大消耗戦となったことから1915年後半になると、イギリス自身の財政基盤が苦しくなります。これを補完したのが米国であり、1915年から16年にかけて、米国から英国への戦時融資が劇的に増加し、1917年に入ると、ついに米国は英国に対し、純債権国となりました。

 中西は、戦時の切迫した状況下での国家間の貸し借りは、両国間の政治的力関係に容赦ない影響を与えると書いていますが、それまで一貫して米国に対し債権国だった英国が純債務国になったことは、世界史的スケールでのパワーシフトでした。

 第1次大戦後に英国のロイド・ジョージ内閣が米国大統領ウィルソンの民族自決原則を含む「十四カ条の平和原則」を受け入れざるを得なかったのも、米国が対英純債権国になった状況の反映でした。

 この英米間のパワーシフトの過程で生じた確執には、激しいものがあり、1927年に行われたジュネーブ海軍軍縮会議では、英米両国が激しく対立、会議は決裂しますが、その際、英国内閣の閣僚だったウィンストン・チャーチルは「かつて言われた『英米間に戦争は考えられない』という考えを、今や我々は翻すべきだ」と述べました。

 こうした英米間の覇権争奪の影響は日本外交にも大きな影響を与えます。それは1921年から22年にかけて行われたワシントン会議での日英同盟の廃棄でした。よく日英同盟の廃棄は、日英双方にとって同盟の必要性が薄れたからだと説明されます。

 しかし、ワシントン会議の直前まで、イギリスは日英同盟の継続がアジアにおける大英帝国の重要な国益であると考えており、廃棄は米国が英国に強く働きかけたことによるものでした。中西によれば、日英同盟には、日英両国にとって「対米抑止」という隠れた狙いがあり、それに気づいたアメリカは、日英同盟を廃棄すれば第1次大戦でのイギリスの戦債の返済についてアメリカの善意が期待できると言葉巧みに説得しました。

 日英同盟は、日英双方にとって東アジアでの権益を守る上で、有効なものでした。特に日本の場合は、日英同盟の廃棄により、同盟の傘を失い孤立した後は、大陸における利権を「ワシントン体制」下のアメリカ外交に圧迫されることとなり、さらには中国国内のナショナリズムの高揚とそれに促された国民政府の「革命外交」という挑戦を受けた日本による反応が満州事変でした。

 英米間にはこうした確執がありましたが、なぜか、当時の日本は英米関係を一体だと見なしていました。パリ講和会議に参加した近衛文麿は1918年に「英米本位の平和主義を排す」という論文を書きましたが、英米を一体不可分と見ていました。

 また、1930年のロンドン海軍軍縮条約では、当時の東京朝日新聞などは英米が結託して日本に不当な圧力をかけ不利な艦艇比率を飲まされたと主張しましたが、実際には、英米間には激しい対立があり、イギリスは巡洋艦比率をアメリカと同率にするという不利な条件を飲まされました。

 英米間の覇権争奪の争いを日本が戦略的機会として活用できたかどうか不明ですが、日本は英米を一体と見て敵対的行動をとったことから、両者を結束させる方向に向かわせます。

 当時の日本指導層は世界情勢の重要な変化が全く見えていませんでしたが、同様なことは今の日本でも起こらないとは言えないと思います。

鎌田 昭良(元防衛省大臣官房長、元装備施設本部長、防衛基盤整備協会理事長)

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