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前事不忘 後事之師
第116回 力の使用における節度 ―天才は止まるべきところを知っている―
昨年秋にドイツの宰相ビスマルクの終焉(しゅうえん)の地を訪れたことからイギリスの著名な歴史家A・J・Pテイラーが著したビスマルクの伝記を読んでみました。伝記の終わりの部分でテイラーがビスマルクに対して秀逸な評価をしていますので紹介します。それは次の通りです。
「ビスマルクは他の政治家同様に無慈悲で不道徳だった。他方で、ビスマルクが他の政治家と異なっていたのは、彼が節度(moderation)を有していたことである。よく引用されるゲーテの言葉に『天才は止まるべきところを知っている』というのがある。ビスマルクは自分および他の人々の政治的情熱を抑制し、誰にも勝利を与えなかった。彼は節度を説き、しばしばそれを実践した」
このテイラーの評価でポイントとなる言葉は「節度」(moderation)です。moderationとは英英辞典によれば、「ものごとを合理的な限界の範囲内で実施すること」です。テイラーが引用するゲーテの言葉でも明らかなように、要は「やり過ぎない」ことです。
テイラーがなぜビスマルクを節度ある政治家であると評価したのかと言えば、ビスマルクは力が重要であると考えるリアリストだった半面、そうした力による政治を追い求め続けると、究極的には自滅が待ち構えていることを理解していたからです。
実際、ビスマルクは軍事力によるドイツの統一を成し遂げた後、ドイツは満ち足りた国になったとして攻撃的な政策を止め、自らを「正直な仲買人」と称してヨーロッパで起きた紛争の調停役となります。彼はそれまでバラバラだったヨーロッパ中央に強力な統一国家が出現すれば、地政学的な論理により、周辺国から強い警戒感を持たれ、やがてはドイツに不幸をもたらすことを予見していたのだと思います。
私がテイラーのビスマルクについての評価が秀逸だと考える別の理由は、テイラーがビスマルクを不道徳だったと述べている点です。ビスマルクは道徳的、倫理的な観点から節度が必要と考えていたわけではなかったのです。
実際、ビスマルクは道徳的な人物ではありませんでしたし、理想主義者とは対極にあった冷徹なリアリストでした。
しかしながら長期的な国益を考えるのであれば、節度ある力の活用や力の抑制が重要であることを理解していました。戦略論などは学んでいませんが、戦略の本質を理解していたと思います。
戦略論を振りかざす人々の中には、あたかも戦略とは直線的な勝利の追求と同義だと主張する者がいますが、優れた戦略論を読むと、そうでないことは明らかです。
例えば、クラウゼビッツは「戦争論」の中で「攻撃はその限界点を超えると、まったく利点のない防御に移行せざるを得ない」と書いています。クラウゼビッツはナポレオンのロシア遠征の失敗を見てこう書いたのですが、攻撃側の戦闘力は度重なる戦闘や補給の困難により必ず減衰していき、やがて「攻撃の限界点」に達することを主張しています。
誤解を恐れずに言えば、やり過ぎを戒めているのです。現代の戦略思想家のエドワード・ルトワックはその著書「大戦略」の中で、クラウゼビッツの主張を拡大して、敵と味方との相互作用の中で、一時の勝利により優位に立った側が直線的な対応を継続すると、必ず時間の経過とともに相手側の反応により優位が喪失する作用・反作用の法則が起こるという「戦略の論理」を展開しています。
また古代中国の戦国時代を生きた孫武は「孫子」謀攻篇で「百戦百勝は善の善なるものに非らざるなり」と説いていますが、この言葉は平和主義の観点から述べられたものではありません。
戦国の七雄が割拠するという戦略環境の中で、ある国が勝利すると見込んで他国との戦いに乗り出した場合、常に他の第三国から攻められる恐れから発せられたリアリズムの主張です。
一昨年亡くなったキッシンジャーはその著書「回復された世界平和」の中で、国際社会の平和が維持される条件として「逆説的だが、(国際社会の)当事国がみな少なからず不満をもっていることが安定の条件である。仮にいずれかの国が完全に満足するとすれば、他の全ての国々は、完全に満足しないことになり、その結果、革命的な状況がもたらされる」と書き、国益追求に「自制」が求められると主張しています。
これらはどれもリアリズムの戦略家たちの主張ですが、いずれも長期的な利益を求めるのであれば、直線的な勝利の追求ではなくて、力の行使に節度が不可欠だとしています。
残念なことですが、昨今の世界の指導者の振る舞いは、ビスマルクが見せた節度などの感覚は全くなく、短期的な自国利益の過度な追求ばかりです。彼らはいずれ戦略の論理に罰せられ自滅すると私は予想します。
鎌田 昭良(元防衛省大臣官房長、元装備施設本部長、防衛基盤整備協会理事長)