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前事不忘 後事之師

第115回 習近平主席が恐れるもの ―和平演変―

 

 中国の指導者、習近平国家主席にとってもっとも重要な使命は中国共産党の一党支配の堅持でしょう。もちろん人民の生活の安定・向上も重視していますが、それは目的ではなく体制維持のための手段ではないかと見えます。

 こうした観点から、大東文化大学の鈴木隆教授の著書「習近平研究」を読むと、習近平がもっとも恐れているもの、それは「和平演変」であると感じます。和平演変とは、共産党の一党体制を平和的な手段で転換しようとする試みです。

 中華人民共和国の創設者である毛沢東も和平演変を警戒していました。しかしその警戒の対象は主にソ連の修正主義でしたが、習近平はより強い警戒感を有していることに加えて、その対象は国内の民主化運動に変化しました。

 習近平が和平演変に対して強い警戒感を有することになった要因は1989年の天安門事件であり、この事件が習近平に与えたもっとも重要な教訓は、事件を欧米諸国などの西側諸国が使嗾(しそう)しており、こうした和平演変のたくらみを防ぐためには、中国市民への思想統制、イデオロギー管理の手綱を絶対に緩めてはならないということでした。

 習近平はソ連崩壊について、その元凶はゴルバチョフの改革と欧米諸国による民主化の策謀であると見なし、さらにはバラ革命、オレンジ革命、ジャスミン革命、アラブの春などのいわゆる「カラー革命」についても背後に西側の策動があったと考えています。

 習近平は「西側諸国が最もやりたいことは、中国でなんらかの事を起こすことであり、香港で2019年に発生した『逃亡犯条例修正案』をめぐり発生した民主化運動は、その分かりやすい例証である」と述べ、その際には香港国家安全維持法を施行し、香港の民主化運動に対し徹底的な弾圧を行いました。

 鈴木は、「習近平にとっての香港での民主化運動との戦いは、単なる地域レベルでの獅子身中の虫との対決ではなく、国の支配体制全体の存続を賭けた、まさしく生きるか死ぬかの闘争であり、香港で行われたような自国民に対する過剰な暴力行為も正当化されると考えている」と書いています。

 このような習近平の考え方の背景には人民の意向を反映する民主主義や選挙についての根強い不信感があり、習近平自身「文化大革命は大民主のお手本だったが、結果は大動乱であった。中途半端な民主は選ぶときは民主だが、選び終えたら民主は存在しない。選挙自体も周到厳正なものになりにくい。大衆の民主意識は高まっているが、多くの大衆の資質はすぐには向上せず、一連の問題を引き起こしている」と述べ、民衆の政治能力についても疑念を有しています。

 鈴木は、著書「習近平研究」の中で、民衆の政治的な能力や意向について不信感を示す習近平との比較において、鄧小平が語った、ある「名言」を取り上げています。

 それを鈴木は「沈黙恐怖論」と名付けていますが、1978年12月の第十一期三中全会の直前の中央工作会議での鄧小平の次の演説に由来します。「大衆による意見の提出は許されるべきだ。たとえごく少数の下心のある不満分子が民主を利用して騒動を起こそうとしても恐れることはない。大多数の大衆には分別があることを信ずるべきだ。革命政党にとって、恐ろしいのは人民の声が聞こえないこと、一番恐ろしいのはしんと静まり返っていることである。党の指導とは人民大衆の正しい意見をまとめあげることである。思想問題については、いかなる場合も圧伏の方法を用いてはならず、百花斉放、百家争鳴を真に実行しなければならない」 

 皮肉なことに鄧小平はこの演説を行ったおよそ10年後、天安門事件に際し自ら主導して軍による弾圧を強行しました。

 鈴木は「社会への沈黙の強制が恐ろしい結末をもたらすことを理解していた鄧小平は、民衆の自発的な政治改革の要求を力で抑え込む一方、被治者の表面的支持の裏側に潜む不満の蓄積と爆発の危険性に対し、党の主導のもとでの政治的コミュニケーションの必要性を確かに認識していた。(鄧小平のこの認識を継承した)江沢民と胡錦濤の両執政期には、少数の反体制活動家への選択的抑圧を除けば、社会の放任的自由は拡大した。だが習近平時代に入り、放任的自由は著しく縮小した」と書いています。

 昨今、我が国を含む西側諸国には、民主主義は専制主義に比べて手間がかかり非効率だとの意見があります。

 しかし、だからと言って政治体制を専制主義に変えようなどという意見は聞いたことはありません。

 習近平国家主席が指導する中国が和平演変を恐れ、それを力で抑え込もうとしている現状は、民主主義に対する自国の専制主義の劣勢を自ら認めている証のように私には見えます。

鎌田 昭良(元防衛省大臣官房長、元装備施設本部長、防衛基盤整備協会理事長)

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