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第113回 習近平にとっての台湾問題

 わが国では最近、台湾有事は日本の有事であると言われますが、大東文化大学の鈴木隆教授は著書「習近平研究」の中で、東アジア近代史の総決算を目指す習近平にとっても台湾問題は日本問題であると書いています。

 ポイントは習近平が統治において歴史を重視する指導者であり、自国の歴史・文化に強い誇りを持つナショナリストである点です。習近平は「5千年あまりの中華文明の厚い基礎の上に、中国の特色ある社会主義を切り拓(ひら)き発展させる」としています。そのナショナリスト・習近平にとって、自国が列強に蚕食された清朝末期以降の近代は“屈辱の歴史”であり、「私はしばしば、中国近代史の歴史資料を読むが、落後して殴られる悲惨な情景を目にすると心底、沈痛な思いになる」と述べています。

 こうした習近平の歴史認識において、台湾の日本植民地化を決定した日清戦争とその講和条約である下関条約(中国側の呼称は各々甲午戦争、馬関条約)は大きな位置を占めており、彼は日清戦争こそ今日の台湾問題の起源とみていると鈴木は指摘しています。事実、習近平は最高指導者となって以降、たびたび日清戦争のエピソードに言及し、2013年に済南軍区を訪れた際には、軍区の将兵に対し次のように訓示しています。「済南軍区が面している黄海と渤海湾では、かつて中華民族の辛酸と屈辱の歴史が生じた。1894年の中日甲午戦争では、北洋艦隊の全軍が壊滅し清政府は主権を失い国家を辱める『馬関条約』の締結を迫られた。甲午戦争は中国の発展過程を中断させ、民族の苦難を深め、民族の覚醒も激発した。われわれはこの歴史を国民への警告と戒めとし将兵を教育すべきである。国の恥を忘れること勿(なか)れ」と。この習近平の台湾問題についての歴史認識は、現在の台湾問題の起源は国民党の蒋介石と共産党の毛沢東の内戦にあると考える日本人の認識とは異なるものですが、ここでさらに習近平の歴史認識において私たちが知っておかなければならないことは沖縄の位置づけです。

 2023年6月、人民日報に記載された「中国と琉球の交流の淵源は非常に深い」との習近平の発言が注目されましたが、これは単に中国と琉球の交流の深さを述べたものではなく、かつて琉球王国が日本と清朝に“両属”していたところ、1879年の明治政府による廃琉置県処分(明治政府が琉球王国を清国の冊封体制から切り離してわが国の沖縄県としたこと)によって、日本に併呑(へいどん)されたとの歴史認識を背景とした発言と解されます。いずれにしても、習近平にとっての台湾統一とは「中華民族の偉大な復興」の不可欠な要素であると同時に、民族の正史に自らの名を残すべく生涯をかけて追求すべき課題であり、さらにそれは日清戦争の敗戦に象徴される「屈辱の近代」に対する復仇(ふっきゅう)であると鈴木は書いていますが、おそらく習近平にとって沖縄も同じ認識と推測されます。

 習近平は1985年から2002年の17年間、台湾正面の福建省で党と政府の業務に励みました。そのため、彼には台湾問題のスペシャリストであるとの自負があり、実際、福建省時代の台湾問題での功績により福建省長に抜てきされて、これが最高実力者への道を開きました。

 鈴木は、習近平の今後の台湾への対応について概要を、次のように予測しています。「中国近代史に対する憤懣(ふんまん)と鬱屈(うっくつ)の感情を踏まえれば、『いつどのように』は不明だが、習近平が最高実力者の地位にとどまり続ける限り、領土と主権をめぐる現状変更のための軍事行動を起こす可能性は高い。他方で、習近平の政治目標の優先順位は第1に自身の権力の維持・強化、第2に中国共産党の一党支配を中核とする体制の維持・発展、第3に中華民族の偉大な復興の実現―具体的には国際社会における米国の覇権的地位の奪取―であり、台湾統一はこれらよりも優先順位は低く、台湾統一を追求するあまり上位の目標が破綻すれば本末転倒となる」

 言うまでもありませんが、わが国は中国の力による現状変更の試みを阻止することを基本方針とすべきであり、鈴木はそのために次の方策を提唱しています。第1に習近平が排他的に重要な意思決定を行い得る最高実力者であることに鑑み、上述した彼の政治目標の優先順位を考慮しながら、習近平のリスク評価に直接間接に働きかけを行うこと、第2にわが国として抑止力の強化を行いながら中国世論のナショナリズム感情と中国国民の脅威認識に配慮し、中国の一般市民に対する安心感の増進に注力することを挙げています。習近平への働きかけや中国国民に対する安心感の増進を行うことは容易ではありませんが、わが国が抑止力の強化のみに頼れば、いずれは習近平の中国と衝突する恐れがあり、それは日中両国にとって最悪の事態であると私は考えます。

鎌田 昭良(元防衛省大臣官房長、元装備施設本部長、防衛基盤整備協会理事長)

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