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前事不忘 後事之師
第112回 『習近平研究』を読んで
『習近平研究』鈴木隆著(東京大学出版会刊)
我が国の安全保障を考える上での最大の課題は台頭する中国にどう向き合うのかだと言われて、かなりの歳月が経過しています。専制主義的な体制をしく中国のような国であれば、その指導者がどういう人物であるのか見極めることが重要ですが、これまで習近平について専門家による本格的な分析は少なかったように思います。しかし最近、大東文化大学の鈴木隆教授による『習近平研究』という研究書が出版されました。
この習近平についての優れた研究書の中で私が興味深く読んだ点は、「カリスマなき強権指導者にすぎない習近平が2012年当初の「名目的な最高指導者」から出発して、度重なる権力闘争に勝利し毛沢東や鄧小平と並ぶ「最高実力者」として、10年以上に及ぶ長期政権を樹立できた理由とは何か、その強さの秘密はどこにあるのか」を分析している部分です。
分析の結論は、習近平は官僚政治家にして軍人政治家、そして長期にわたる地方勤務の経歴を持つ指導者であり、こうした経験の中で培った官僚機構の操作能力こそが彼を「担がれた神輿(みこし)のリーダー」から、中国における「単独意思決定者」の高みに引き上げたというものです。習近平は中国の3つの権力主体(党、政府、軍)、4つの地方社会(河北、福建、浙江、上海)、5つの行政級(県、地区、市、省、中央)での勤務経験を持ち、その昇進の階悌(かいてい)を一歩ずつ上がる過程で党・政府・軍の内部的な権力の作動メカニズム、政策決定や人事などの手続きを学習しました。現役の指導層の中で彼ほど現代中国の官僚制に通暁(つうぎょう)した者はまれであり、これが他の指導者に比べて習近平の抜きんでた強みであると鈴木は分析しています。
習近平の官僚機構操作術の実例として、「民主生活会」の活用があります。民主生活会とは中国共産党の伝統的な会議活動であり、指導者たちが党の方針や政策の履行状況、業務の取り組みなどについて忌憚(きたん)のない意見交換をする集まりです。
他方でこの会議は自己批判を迫る「つるしあげの場」にもなり得るものであり、1978年には当時の最高指導者たる総書記・胡耀邦が6日間も続いた生活会の場で自己批判を迫られ、失脚しました。習近平はこの伝統的会議に目をつけ、2015年12月と16年1月に党中央政治局と中央軍事委員会、各々の民主生活会を開催します。ここで習近平は胡錦濤から自らへの政権移行期に摘発された周永康、薄熙来、徐才厚、郭伯雄らの規律違反事件を取り上げて議論し、自身も胡錦濤政権の国家副主席として規律違反を見過ごした責任があったことには触れず、関わりのあった幹部批判を行います。同時に習近平はこの民主生活会を毎年12月に定期開催することを指示し、会合の参加者に対し批判と自己批判を交えつつ、担当業務の総括や習近平への支持を表明することを義務づけます。鈴木は、「事件は会議の中でも起きる」という巧みな表現を使っていますが、生活会を定期的に開催することを通じて習近平と他の指導者の間にリーダーとフォロワーの関係が生まれ、習近平は「最高実力者」となったと説明します。
問題はこのように成立した「習近平一強体制」は盤石なのかという点です。
鈴木は、現代中国が抱えるさまざまなリスクはあるものの、習近平に健康上の問題がなければ、2027年から28年まで習近平は強い影響力を保持するであろうし、その後の政権継続の可能性も示唆しています。
私は、「習近平研究」を読みながら、習近平が官僚政治家、軍人政治家という自らの2つの特徴を生かして台頭した点にこそリスクが存在すると感じました。軍人政治家である点については、習近平はそのキャリアを中央軍事委員会勤務からスタートさせ、地方勤務の間も一貫して軍との関係強化を図り、軍の統制に自信を深めました。
その彼が巨大利権組織・軍の腐敗撲滅に邁進(まいしん)していますが、軍の抵抗には相当なものがあり、この過程で複数の軍幹部が失脚し、不可解なことにその中には習近平が昇格させた者も含まれています。仮に軍との関係が揺らぐことになれば、体制が不安定となること必定です。官僚政治家である点について言えば、現在の中国が抱える課題の解決が可能なのかということです。
中国が抱える課題は、胡錦濤政権末期、当時の温家宝首相にこのままでは共産党の統治はもたないと危惧させるほどのものであり、解決には抜本的な構造改革が必要です。
しかし官僚政治家である習近平は、ソ連を崩壊させた元凶は、ゴルバチョフであると考えており、共産党政権の根幹に触れるような改革はできず、矛盾を力で押さえる政策を継続するように思います。人は得意分野で躓(つまず)くことが多いものです。
私は巷間言われているほど習近平体制は盤石ではないと感じます。
鎌田 昭良(元防衛省大臣官房長、元装備施設本部長、防衛基盤整備協会理事長)