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前事不忘 後事之師
第90回 スターリン―偏執症だからといって 無能であることにならない
ヨシフ・スターリン
20世紀で最も冷酷な独裁者は誰かと問われれば、必ず名前が挙がるのはヒトラーとスターリンでしょう。この2人が同時代を生き虚々実々の駆け引きを行い、一時は手を握り(独ソ不可侵条約の締結)、その後、血みどろの戦い(独ソ戦)をします。1人が勝ち、他方が負け、その結果が第2次大戦の帰趨(きすう)を決し、戦後の国際政治の大枠を定めました。このような事例は世界史上でも例のないことだと思います。
この2人の独裁者についてイェール大学のジョン・ルイス・ギャディス教授が「歴史としての冷戦」という著書の中で、興味深い比較をしています。
「ヒトラーとスターリンの経歴には、重要な共通点がある。両者はともにそれぞれの社会におけるアウトサイダーの境遇から絶対的な地位に昇りつめた。両者はともに潜在的な敵からは過小評価され、また目的を達成するためならテロを含むいかなる手段でも用いる覚悟があった」「ヒトラーとスターリンは個人の利益と国家の利益を結びつけ、国際主義者のイデオロギーを実行に移すことに専念した」
ギャディス教授は2人の共通点はここまでだと述べ、相違点を次のように説明します。
「ヒトラーは合理的な計算というよりは、強い感情に基づく構想の犠牲者だったが、スターリンは冷酷なまでに現実主義的だった」 「スターリンが辛抱強く、野心を達成するのに必要である限り時間をかける用意があったのに対して、ヒトラーは自分自身に課した期限に間に合わせることに狂信的なまでに固執」
このため、「スターリンが結果としていつか来るべき世界プロレタリアート革命を期待していたのに対して、ヒトラーはただちに人種の純化を行うことを追求した」
また「スターリンが用心深く柔軟であったのに対し、ヒトラーは万難を排してその邪悪な原則を貫き通し、アーリア人至上主義とユダヤ人の絶滅という自己の目的をいかなる犠牲を払おうとも達成しようとし、国家あるいは自分自身の安全さえをも優先させようとしなかった」
「スターリンがなりふり構わず戦争を避けようとしたのに対して、ヒトラーはきわめて意図的に戦争を挑発した」
「ヒトラーにとってはイデオロギーが目標を決定するのであり、実際上の困難がその障害となることは許されなかったが、スターリンについてはこの逆であった。目標がイデオロギーを決定したのであり、イデオロギーは状況の変化につれて必要なら調整されたのである」
2人の違いを要約すれば、自らのイデオロギーを実現する上で障害となる現実とどう向き合うのかという戦略論の要諦に関するものですが、用心深く現実に対応したスターリンが勝利者となりました。ギャディス教授はこれをヒトラーは地政学的論理を自らのイデオロギーに従属させたのに対し、スターリンは地政学的論理をイデオロギーに優先させる柔軟性を有していたと表現しています。
アメリカの著名な経営学者であるピーター・ドラッカーはその著書の中で、ヒトラー、スターリンなど20世紀に出現したカリスマ政治家を全て「危うい存在」として批判しているそうです。その理由は「現実こそが主人であるので、カリスマ的リーダーが掲げるイデオロギーに現実世界の方が膝を屈することはあり得ないが、彼らはその事実を悟った途端に、偏執者(敵意のない行動にも敵対する動機を見出そうとする者)・荒れ狂う狂人となり、あらゆるものを破壊する行為に走る」というものです。
確かに、スターリンは偏執症で、自己の安全を確保するために自分以外のあらゆる人々の安全を奪いました。さらにはスターリンほど暴力というものを進歩と結びつけて考えた指導者はいなかったと思います。しかしながら、「偏執症であるからといって無能であることにはならない」とギャディス教授は書いています。第2次大戦を戦った主要国(米ソ英独日)の中で、唯一、二正面作戦の罠にはまらなかったのは、スターリンのソ連だけだったことを踏まえれば、スターリンは稀代の悪の人で、我が国にとっては北方領土問題の元凶を作った人物ですが、「現実こそ主人」とドラッカーの言う戦略の要諦を肌感覚で知っていた指導者だったと私は考えます。
鎌田 昭良(元防衛省大臣官房長、元装備施設本部長、防衛基盤整備協会理事長)