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前事不忘 後事之師

第88回 歴史とは現在と過去の対話


 歴史家E・H・カーがその著書「歴史とは何か」の中で述べた「歴史とは現在と過去との対話」であるという言葉は有名です。

 何となくわかった気になりますが、この言葉の意味するところは、歴史家の仕事は、客観的な歴史的事実を明らかにすることであるという、“事実崇拝主義”への批判です。

 まず、カーは「歴史的事実」とは何か、という問いを発し、過去の全ての事実が歴史的事実ではないことを次のように説明します。

 紀元前49年にカエサルはルビコン川を渡った。人々はそれ以前にもルビコンを渡っていたが、それは過去の事実ではあるが、歴史的事実ではない、これに対しカエサルのルビコン渡河は歴史家から歴史的事件とされており、それゆえ歴史的事実である。

 「事実は自ら語る」と言われるが、事実が語るのは歴史家が声をかけた時のみであり、どんな事実に発言権を与えるのか、どんな文脈で発言させるかを決めるのは歴史家である。従って、歴史的事実には、歴史家の解釈が入り込んでおり、カーは、「事実を研究する前に歴史家自身を研究せよ」と主張します。

 カーは、事実崇拝の前提の「史料崇拝」についても挑戦します。歴史家は、古文書、過去の記録、日記などの史料によって仕事をしますが、史料にも陥穽(かんせい)があり、その例としてシュトレーゼマン文書を挙げます。シュトレーゼマンとは、ワイマール時代のドイツの外務大臣で、1925年のロカルノ条約締結の功績でノーベル平和賞を受賞します。彼は、1929年に急死しますが、300箱にもおよぶ膨大な量の文書を残しました。

 シュトレーゼマンの死後、この文書をもとに、「シュトレーゼマンの遺産」が編纂されます。編纂の出来は良いものでしたが、カーは、偏向があると言います。それは、シュトレーゼマンが外相として西方外交と東方外交の双方に奔走したにもかかわらず、成果のなかった東方外交については焦点を当てず、ロカルノ条約の締結など成果のあがった西方外交を中心に編纂されているからです。300箱の原史料に含まれるシュトレーゼマンと当時のソ連の外務人民委員チチェーリンとの会談記録についても、カーは偏りを指摘します。会談記録を分析すると、シュトレーゼマンの主張は明確で分かりやすいが、チチェーリンの主張は曖昧で分かりにくいというのです。理由は、会談記録がシュトレーゼマン側によって書かれたもので、そこには、実際に起こったことに加えて、シュトレーゼマン自身が起こったと思いたがっていることが含まれている可能性があり、「事実の選別」が、シュトレーゼマン自身によって行われているからです。

 仮にソ連側の記録が存在していたとしても、チチェーリンによる選別が行われているので、本当のところ、会談で何が起こったのかは、これら記録を読んだ歴史家の頭の中で再構成するしかないというのです。史料は歴史家にとって命ですが、これらも崇拝してはならないと述べます。

 事実崇拝主義の危険の指摘の一方で、カーは、歴史家の解釈を中核にする歴史観にも危険が潜んでいると述べます。もし歴史家が自分の時代の目を通して過去の問題を分析し、その視点が現在の目的に適合しているかどうかであれば、その結果は、ソ連歴史学会で行われていたように、党の解釈により、事実を乱暴に扱う事態となると言います。

 この二つの危険を回避するには、歴史家は、事実と歴史家の解釈を一方を主、他方を従とするのではなく、両者を平等に扱うべきであり、自分の事実を練りあげて自分の解釈に合わせた形にする、自分の解釈を練りあげて自分の事実に合わせた形にするという絶え間ないプロセスが不可欠であり、このプロセスの過程で、現在(歴史家)と過去(事実)の相互作用が生まれると、カーは主張します。だから、「歴史とは、歴史家とその事実の間の相互作用の絶えまないプロセスであり、現在と過去の間の終わりのない対話である」と結論づけます。

 カーは、歴史家の解釈とは別に歴史的事実のかたい芯が客観的に独立して存在するといった信念は、誤謬(ごびゅう)であると述べています。フェイクは論外ですが、私たちは、普段、何気なく事実と見なしているものの本質についてもっと真剣に考えるべきかもしれません。

鎌田 昭良(元防衛省大臣官房長、元装備施設本部長、防衛基盤整備協会理事長)

 

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