創刊70年を越える『朝雲』は自衛隊の活動、安全保障問題全般を伝える
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朝雲寸言
作家の司馬遼太郎さんには史料収集にまつわる逸話が多い。1962年、38歳の時に『竜馬がゆく』の新聞連載が始まるが、古書店で買い集めた史料は1400万円相当に上った。
68年から『坂の上の雲』を書いた時もそうだった。神田の古書街から日露戦争関連の本や地図が消え、同じ題材の戯曲を執筆中の井上ひさしさんを困らせたとか。真偽のほどはさておき、対象にとことん迫ろうという作家の執念が伝わってくる。
その司馬さんに『ロシアについて』(86年刊)という随筆集がある。豊富な知見を踏まえ、ロシアやロシア人の本質に思いを巡らせている。
彼らの祖先は、しばしば野蛮なアジア系遊牧民族の侵略にさらされた。特に13世紀にモンゴル人が建てたキプチャク・ハン国は、約240年にわたってロシア平原に居座り、破壊と殺戮(さつりく)、収奪の限りを尽くす。いわゆる「タタールのくびき」である。
そのトラウマが、外国への異様な恐怖心と猜疑心(さいぎしん)、潜在的な征服欲、火器への異常信仰といった「ロシア社会の原形質」になって現代に続いている、というのが司馬さんの見立てである。ロシアによるウクライナ侵攻の背景と、プーチン大統領の屈折した心理を言い当てていて慧眼(けいがん)というほかはない。
戦争、大国の横暴、格差の拡大、異常気象。世界はいま未曽有の混迷期にある。こんな時こそ右往左往せず、歴史書とじっくり向き合ってはどうだろう。ヒントは案外、過去にある。
(2025年11月6日付『朝雲』より)