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 前事不忘 後事之師

第68回 独ソ戦 大戦後の世界を決めた死闘

 スターリングラード攻防戦。独ソ戦は史上最も残酷な戦いとなった

 現代史の中で冷酷な独裁者と言えば必ず名前の挙がるヒトラーとスターリン。二人が同時代を生き、一時は世界を驚かす握手をした後、22カ月後に血みどろの争いを繰り広げる、こんなことは長い人類史の中でもそうあることではありません。

 独ソ戦は1941年6月22日早朝、ドイツ軍が不可侵条約を破り突然にソ連に大規模侵攻を行ったことにより始まります。

 ヒトラーが攻撃をしかけた理由は二つ。一つはヒトラーの著書『我が闘争』で主張されているように彼にはドイツの東部にゲルマン民族の大生存圏を確保しようとのプログラムがあり、機会があればソ連の殲滅(せんめつ)を狙っていたこと。第二のより切迫した理由は英国への対応です。電撃戦によって1940年6月フランスを降伏に追い込んだにもかかわらず、チャーチル率いる英国は屈服することなく、徹底抗戦。ヒトラーは英国の頑なな対応の背後にソ連の存在があると考え、ソ連を打倒すれば英国も折れるだろうと判断。

 戦争では、よりミスの少ない方が勝利すると言われますが、独ソ戦においては双方に大きなミスがありました。

 ヒトラーのミスはソ連赤軍は弱体であり、得意の電撃戦で短期に決着がつくと考え、兵士には冬服の準備もさせず長期戦への備えを怠ったことです。実際、前年ソ連赤軍はフィンランドとの戦争で大苦戦していました。またヒトラーが戦力をモスクワ攻略に集中するのではなく、北のレニングラードと南のキエフの二方面に分散させたことや、当初5月中旬に開始する計画のソ連侵攻が直前に行われたバルカンへの軍事作戦の結果、4週間遅延したこともマイナスでした。

 スターリンにも重大なミスがありました。彼がその猜疑心(さいぎしん)の強さから1937年から38年にかけて赤軍幹部の大粛清を行ったことです。この粛清は空前絶後の規模で、赤軍の高級将校の大部分、将官と佐官の8割が反逆罪で銃殺されたと言われていますが、この粛清で赤軍は大打撃を受けました。

 スターリンはヒトラーの『我が闘争』を読んでドイツと不可侵条約を締結しても、いずれヒトラーの攻撃があると予想していたようですが、赤軍を立て直す時間の確保のため1941年に攻撃されることは何としても避けたいところでした。計算高いスターリンは英仏とドイツが戦いの中で双方が消耗するのを期待。しかしながら西部戦線でのドイツの破竹の勢いに恐怖を感じていました。このため彼は最後の最後までヒトラーを刺激することを避けました。英国首相チャーチルや日本で活動していたスパイのゾルゲなど多くのところからドイツの攻撃情報は届いていましたが、猜疑心が影響し英国がドイツとの戦争にソ連を巻き込む謀略であると頑なに信じ、赤軍を警戒態勢に置くことを拒否します。

 6月22日午前3時45分、赤軍のジューコフ参謀総長が就寝中のスターリンに「ドイツ軍が我が国を爆撃しています」と電話口で叫んだところ、衝撃のあまりスターリンは声が出ず、聞こえるのはスターリンの息づかいだけだったと後年ジューコフは述べていますが、胆の太いスターリンも崩壊する前線部隊の報告を受け、一時憔悴(しょうすい)のあまり自らのダーチャ(郊外の別荘)に引きこもってしまうほどでした。

 しかし、その後の展開を見ると、ヒトラーのミスの方が致命的でした。ロシアの三将軍(冬将軍、泥将軍、ジューコフ将軍)の反撃を受け、その年の12月6日、ドイツの攻撃軍はクレムリン手前24キロの所でストップ、結局ドイツは敗れ去ることになります。ソ連への侵攻直前、ヒトラーは自らの勝利を確信しつつ、側近の一人に「まるで見たこともない暗い部屋に続く扉をその陰に何が潜んでいるかわからないまま開けた気分だ」とつぶやいたという暗示的な話が残されています。

 独ソ戦は民間人を含めて3000万人近い犠牲を生んだ史上最も残酷な戦いでした。同時にこの戦いは、その結末はヒトラーの目論見とは真逆でしたが、戦後にソ連をその一角とする冷戦構造を生み出す歴史的大事件でした。後の時代を生きる私たちは歴史の流れを必然であったと考えがちですが、もしヒトラーという人物が登場し「打倒ソ連」という自らの妄執を実現しようとしなければ第二次大戦後の世界は相当に違っていたと思います。

鎌田 昭良(元防衛省大臣官房長、元装備施設本部長、防衛基盤整備協会理事長)

 

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