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 前事不忘 後事之師

第33回 名将のリーダーシップ ――自らを死地に投げ込む

 ハンニバル像=いずれも史料から

 言うまでもないことですが、自衛隊のような実力組織では、リーダーである指揮官がどうやって精強な部隊を作り上げるのかが極めて重要な課題です。古今東西の様々な書物でいろいろな人物のリーダーシップが取り上げられていますが、私が一番感銘を受けたのは、紀元前3世紀に、ローマとカルタゴが地中海の覇権をかけて争った「第2次ポエニ戦争」において、カルタゴの名将ハンニバルが見せたリーダーシップです。

 カルタゴの将軍ハンニバルは、その根拠地スペインから、誰も予想しなかった「アルプス越え」という方法により、イタリア侵攻を企てます。象を連れたハンニバルの軍隊は、紀元前218年9月に15日ほどかけて、アルプスを越えたと伝えられています。アルプス越えを始めた時には、歩兵騎兵合わせて4万6000の軍勢だったものが、イタリア側に到着した際には半減していました。厳しく辛いこのアルプス越えの作戦は、ローマに対する奇襲であると同時に精鋭部隊を作るという狙いがあったと私は見ています。

 アルプス越えを行うカルタゴ軍

 ハンニバルは、兵士たちに休息を与えた後で、兵士たちを集め、見世物を観せます。それは、アルプスを越える途中で捕虜にしたガリア人による決闘でした。ハンニバルは、ガリア人捕虜たちに、「希望する者には、決闘を許す。決闘に勝ち抜いた者は、自由にする」と約束します。捕虜の中からは拒否する者はなく、全員が激しい決闘を行い、多くの捕虜が死んでいきました。

 この見世物の後、ハンニバルは、激しい決闘を興奮しながら観ていた兵士たちに話しかけます。

 「いま観たのは、見世物ではない。おまえたちの現状を映し出す鏡なのだ。捕虜の運命はお前たちの運命でもある。お前たちの左側も右側も二つの海(アドリア海と地中海)がお前たちを取り囲んでいるが、お前たちは逃げ込む一隻の船も持たぬ。だが、お前たちがいま観たばかりのガリア人と同じ想いで闘うとしたら、我々は勝者になると確信できる。お前たちは、ヒスパニア(今のスペイン)から始まって、堂々千数百マイルの道程を踏破し、最後にアルプスを越える偉業を達成した。この偉業を達成したお前たちに比べれば、これから戦うローマ軍は、歴戦の経験もない烏合(うごう)の衆である。お前たちには勝利か死しか残されていない。全ての空しい希望は捨て、ひたすら勝利を求めよ」

 私は、戦いは他の条件が同じであれば、「必死である方」が勝利すると考えます。稀代(きたい)の戦術家であったこの29歳の若者は、巧妙な戦術を繰り出す名手であっただけではなく、兵士たちを必死にさせる方策が重要であることも知っていました。アルプス越えを行った後、カルタゴ軍は、精強で知られたローマ軍を「カンネーの戦い」で完(かん)膚(ぷ)なきまで撃破し、ローマを敗北の淵にまで追い詰めたのも、ほとんどハンニバル個人の力量によるところだと思いますが、そもそもハンニバルが率いた軍は、士気の高い市民軍であったローマ軍と異なり、傭兵中心だったことを知ると、この若き将軍のリーダーシップには、驚嘆すべきものがあります。

 ハンニバルが活躍したと同じ紀元前の世界を生きた中国の将軍、孫武が著したとされる『孫子の兵法』の「九地篇」の中に、「衆は害に陥りて然る後に能く勝敗を為す」(兵士たちは、とてつもない危険にはまり込んだのちに、ようやく勝敗を自由にすることができる)という言葉がありますが、稀代の兵法家二人が同じことを考えたのは、単なる偶然ではないと思います。人間は、弱い存在なので、集団でも個人でも同様ですが、ここ一番の戦いや辛い仕事をしようと思うのであれば、先ずは、自らを逃げられない「死地」に投げ込むことが大事だと私は思います。

鎌田 昭良(防衛省OB、防衛基盤整備協会理事長)

 

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