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第91回 スターリン再考 ―靴職人の息子―


ヨシフ・スターリン

 イェール大学のジョン・ルイス・ギャディス教授はその著書「歴史としての冷戦」の中で、冷戦の起源とソ連の崩壊の原因について考察しています。この著書で、ギャディス教授は、「仮にルーズベルトやチャーチルがいなかったとしても冷戦は生起したであろうが、スターリンがいなかったとしたら、第2次大戦後の世界は全く違った展開になったであろう」と主張し、「スターリンは家族関係、側近との個人的な関係、党内、国内、同盟関係、国際関係の全ての前線で冷たい戦争を遂行した」「冷たい戦争を戦うことはスターリンの性癖だった」と書いています。冷戦は一人の人物の性格に起因すると主張しているように感じました。

 スターリンは偏執症、冷酷、残忍、悪人などの評価の一方、思慮深く、用心深い現実主義者とも言われ、一筋縄では形容できない複雑な性格でした。

 アイザック・ドイチャーの名著「スターリン伝」を読むと、その性格が生まれに深く関係していたことが分かります。

 スターリンは、本名をヨシフ・ヴィッサリオノヴィッチ・ジュガシビリと言い、コーカサス地方、今のジョージアに1879年に生まれました。父親は農奴から靴職人になった人物です。当時の東欧では、靴屋という職業には二つのイメージがありました。一つは、「靴屋のように酔っぱらい」との言い回しに見られるように靴屋の職業病は酔っ払いであり、スターリンの父親も酒を飲み妻子に暴力を振るっていたようです。冷酷な父に対して、子供のスターリンが自分の身を守るためにとった手段は不信と警戒心であり、感情を偽りひたすら耐え忍んでいくことでした。「少年スターリンは、戦いでのずるさを身につけたが、これは後年、役立つことになった」とドイチャーは書きます。

 もう一つの靴屋のイメージは、同じように東欧で言い慣らされた言葉「靴屋の哲学者」です。ドイチャーはスターリンが持つ内省的な思考能力は父親から受け継いだ性癖ではないかと分析します。その父親は若くして亡くなり、同じく農奴出身の母親は洗濯女をしながら子供を育てます。彼女は一人息子に愛情の全てを傾け、自分が読み書きできなかったことから、息子が9歳の時に地元の宗教学校に、さらに14歳の時には故郷から遠く離れたチフリス(現ジョージアの首都トビリシ)の神学校に入れます。当時、農奴出身の両親から生まれた息子が神学校に入るのは奇跡に近く、信心深い母親は息子が将来、教区の司祭になることを夢みていましたが、スターリンは神学校時代に革命思想に触れ退学処分となり、革命家としての道に進みます。

 ドイチャーは、レーニンなどのロシア革命の他の指導者とスターリンとの間には重大な違いがあったと述べます。それは他の革命指導者の大部分が社会の上層階級の出身だったことです。これら上層階級の子弟が社会主義に走った要因は多くの場合、人道主義、被圧迫階級への同情心であり、彼らの支配階級に対する憎しみは社会主義の理論によって育て上げられた後天的な感情でした。一方、社会の最下層の辛苦をなめたスターリンは地主、資本家、聖職者という抑圧者に対し、生来の憎悪を抱いていたのみならず、彼自らその代弁者を任じていた農奴などの被抑圧者たちにも懐疑的な不信感を有していました。彼が革命活動を通じて知った社会主義の教えは彼の生来の階級的憎悪を道徳的に是認することとなり、そのため彼の社会主義はセンチメンタルなところのない、冷たい荒々しいものとなったとドイチャーは書いています。

 レーニンは晩年にスターリンが粗暴であるとの理由で書記長の職務から更迭されるべきとの遺書を書きましたが、無視されレーニンの死後スターリンは同僚たちを次々に打倒、最終的に独裁的な権力を手に入れます。

 ギャディス教授の前述した著書を読むと、ソ連が第2次大戦を勝利し戦後冷戦の一方の雄になった要因、さらには数十年後にソ連が崩壊した要因さえ、スターリンの性格に起因しているように感じられます。

 私達は「ある国のかたち」を読み取ろうとする際に、経済力や軍事力といった表面的な力に目を奪われがちですが、巨大な指導者がその国に刻印した目に見えない「爪痕」のようなものこそ、本当は重要だと考えます。

鎌田 昭良(元防衛省大臣官房長、元装備施設本部長、防衛基盤整備協会理事長)

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