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 前事不忘 後事之師

第27回 カーブボール 失敗の落とし穴はどこにでもある

 近年、政府全体や防衛省・自衛隊において、情報機能の充実強化が行われており、それ自体は、良いことです。他方で情報やインテリジェンスの業務は、〝人間的な営み〟であり、機能を充実したからと言って、それだけで失敗が防げるわけではないことは知っておくべきです。

 アメリカのような予算的にも人員的にも充実した大きな情報組織を有する国でも2003年に行われたイラク戦争において、サダム・フセイン政権を打倒するための大義名分となった「イラクが大量破壊兵器を開発している」という点について、米国の情報機関は、信じられないような過ちを犯しました。この過ちを犯す過程を詳細に記述したボブ・ドローキン著の『カーブボール』=写真=と名付けられた本は、なぜ人は、過ちを犯すのか知る上で、有益な書であると思います。この本によれば、概要はこうです。

 1999年、イラクで生物兵器の開発に携わっていたと称するイラク人がドイツに政治亡命を求めます。ドイツの情報機関がこの人物の尋問を開始。この人物は、イラクによる生物兵器開発プログラムの内容を詳述します。ドイツの情報機関は、尋問内容には疑わしい点があると判断したにもかかわらず、その内容を伝えられた米国の中央情報局(CIA)は、情報内容の信憑性(しんぴょうせい)をチェックすることもなく、それをブッシュ政権中枢に正しいものとして伝え、その情報は、イラク攻撃を正当化するためにパウエル国務長官がイラク攻撃1カ月前に国連安保理で行った演説内容の中核として使われます。しかしながら、後に、この亡命イラク人の情報が捏造(ねつぞう)であったことが判明します。

 CIAの内部にも情報の信憑性は疑わしいものであり、イラクが生物兵器を開発している根拠にすることは、危険であると警告する者もいましたが、その懸念は無視されることになります。当時のブッシュ政権は、フセイン政権を打倒しようという強い意向がありましたし、また政権内のほとんどの人間がイラクは大量破壊兵器を開発しているに違いないと信じていました。こうした政権内部の雰囲気の中で、生物兵器を開発していたとの亡命イラク人の捏造情報に飛びついてしまい、大量破壊兵器の開発はなさそうだとする情報は無視されていくことになります。

 情報活動というのは、言うまでもないことですが、人間が行う営みであり、このため人間が持つ様々な〝弱点〟が影響を与え、情報収集の歪みが生ずることになります。『ローマ人の物語』を書いた塩野七生さんによれば、ユリウス・カエサルは、「人は見たいと欲する現実しか見ることができない」と述べたそうですが、まさに、その通りです。

 『カーブボール』と言う本の最後に、ブッシュ大統領がCIAの担当官に何故間違った情報が使われたのか質問する場面が出てきます。担当官の答えの一つは、毎朝、ブッシュ大統領に対して行われるCIA長官による情報ブリーフィングにおいて、大統領が大した意味もなく示す興味がCIAの情報収集の方向を決めてしまうというものです。この答に対して、「だからモザンビークのクソ野郎の報告がしつこく上がってきたのか」と大統領は、コメントしたそうですが、これには思わず笑ってしまいます。

 情報担当官は、政策立案者の情報要求に基づいて情報収集するというのは、情報収集の大原則ですが、だからと言って政策責任者の意向に応えようとし過ぎると、大きな落とし穴にはまってしまいます。日本でも総理への「忖度(そんたく)」が話題になりましたが、人間の営みである以上、大きな組織であろうと、落とし穴は潜んでいるのだと思います。

<訂正>

 1月11日付3面の本コラム(第25回)で、「孫子の兵法の計篇にある詭道と言う言葉の詭という漢字は、孫子以前の古典では見当たらない」と書きました。しかしながら、私の先生でもある防衛大学校の水野実名誉教授から、孫子よりさらに古い「詩経」の「大雅」の中にある「民勞」という詩に「詭(き)随(ずい)を縱(ほしいまま)にすること無く(新釈漢文大系・偽り欺くものを許すことなく)」との句があると教えて頂きましたので、ここに訂正します。

鎌田 昭良(防衛省OB、防衛基盤整備協会理事長)

 

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