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 前事不忘 後事之師

第64回 独ソ不可侵条約
     ヒトラーとスターリンが〝死の抱擁〟

 1939年8月23日、スターリン(中央右)とドイツのリッベントロップ外相(同左)が見守る中、独ソ不可侵条約に署名するソ連のモロトフ外相(着席)

 20世紀国際政治史の中で衝撃的事件の一つは1939年の独ソ不可侵条約の締結です。この条約は当時の国際政治に衝撃を与えたのみならず、独裁者の中でも最も冷酷との評価のヒトラーとスターリンの直接主導によって締結されたものであり、極めて興味深いものがあります。
 この条約の締結がどちら側のイニシアティブによって始められたのかについては議論があるようですが、神戸大学栗原優(まさる)名誉教授の『第二次世界大戦の勃発』によればヒトラーにより大きな誘因があったようです。

 1938年9月のミュンヘン会談後、ヒトラーは将来英仏との戦争が不可避であると考え始め、東西二正面作戦を回避するためドイツの東側で国境を接するポーランドへの対応を考えます。ヒトラーは最初、両国間に存在する領土問題について寛大な提案をすることでポーランドを味方につけようとしますが、拒否されます。この結果、軍事力でポーランドを押さえることを決断。しかしヒトラーにとっての懸念はポーランドに軍事侵攻した時に英仏が介入し〝大戦争〟になることでした。

 英仏の介入を阻止するためヒトラーの念頭にあったのが日独伊三国同盟の締結です。日本を含めた三国で軍事同盟を結べば、極東、地中海でも英国を牽制できるのでポーランドに軍事侵攻しても英仏は介入できないと考えたのです。ところが三国同盟の締結は日本政府部内の陸軍と海軍の対立で困難となり、その時、ヒトラーの頭に浮かんだのがそれまで不倶戴天(ふぐたいてん)の敵とされたソ連との連携です。ポーランドへの軍事侵攻時にソ連を最悪でも中立にしておけば、大戦争にはならないと考えました。

 一方のスターリンは皮肉なことですが、自らが行った赤軍幹部の大粛清により赤軍の能力に全く信頼を置いていませんでした。これに加えソ連は東では日本の関東軍との間で国境紛争を抱えており、ヨーロッパ正面で戦争に巻き込まれることは絶対に避けたい事態でした。またスターリンには東欧の領土への思惑がありました。

 当時の米国の新聞に掲載されたヒトラーとスターリンの漫画。表題は「新婚旅行はいつまで続きますかな?」

 ここにヒトラーとスターリンが〝死の抱擁〟をする理由が生まれましたが、両者は条約締結まで虚虚実実の駆け引きを行います。特にスターリンはドイツと不可侵条約を締結する直前まで英仏とも同盟交渉を行い、どちらが自分に高値をつけてくれるか天秤にかけます。キッシンジャーがスターリンを“バザールの商人”と呼ぶ所以です。1939年8月23日ドイツのリッべントロップ外務大臣がモスクワを訪れ、独ソ不可侵条約が締結されます。

 ヒトラーは「条約締結の衝撃で英仏の内閣は倒れ、ポーランドへの介入はなくなる」と予想しましたが、倒れたのはドイツと防共協定を締結していた日本の内閣であり、予想に反し、英国のチェンバレン内閣は、ポーランドに与えていた安全保障の提供を確約。実際にドイツがポーランドを侵攻すると英仏はドイツに宣戦布告し、第2次大戦が始まります。その22カ月後、ヒトラーは条約を突然破棄し独ソ戦が始まりますが、これがヒトラーの命取りになりました。

 条約締結に遡(さかのぼ)る15年前、ヒトラーは『我が闘争』で「ロシアとの同盟締結という事実そのものが次の戦争を意味し、その結果ドイツの終焉(えん)となろう」と書いているそうですが、ヒトラーは自分の言葉を思い出すべきでした。

 この条約の他方の当事者スターリンに対する二人の識者の評価が面白いです。ヒトラー、スターリンと同時代を生き、当事者ともなるチャーチルは回想録で「正直こそ最善の政策である」と述べた上で、「悪賢い人間や政治家は念入りな計算のためにかえって道を誤る例を見る。この場合は特に著しい例であり、わずか22カ月の後、スターリンと数百万人のロシア国民は恐るべき罰金を支払わなければならなかった」とスターリンを道義面から批判しています。

 一方、キッシンジャーは独ソ不可侵条約について、共通の地政学的利益はイデオロギーを超える強力な絆であるとした上で、「(第2次大戦後)ソ連が超大国になったのはバザールの商人スターリンの冷酷な駆け引きにその起源がある」と冷徹な分析をしています。識者二人の評価は対照的ですが、どちらの評価にも一理あると私は思います。

鎌田 昭良(元防衛省大臣官房長、元装備施設本部長、防衛基盤整備協会理事長)

 

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