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朝雲寸言2007/9/13付
戦前に陸軍大学校を首席で卒業して大本営参謀、関東軍参謀を務め、シベリア抑留を経て、戦後は実業家として伊藤忠商事のトップに上り詰めたほか、中曽根内閣のブレーンとして活躍した瀬島龍三氏が亡くなった。その数奇な人生には、多くの称賛と疑問が残されている。
氏は、東京裁判でソ連側の証人として出廷し、日本軍の対ソ侵攻計画の存在を証言した。同じソ連側証人であった草場中将は、「多くの日本兵士を不幸な目に遭わせたことを謝罪」して、出廷を前に自殺した。
生きて俘囚の辱めを受けないことを信条として玉砕の悲劇を繰り返してきた日本陸軍は、多くの有為な人材を失った。それを思えば、才能豊かな瀬島氏が、「生きて」戦後日本の国造りに貢献できたことは国家的にも幸いだったことは否定できない。他方、節を曲げることを潔しとせずに自決した軍人の心情は、痛ましくも尊い。どちらの生き方が優っているかは本人以外に決めようのないことだろう。
時代の価値観が変わるとき、それに乗れるか乗れないかが、生き方、ひいては死に方を決める。だが、新たな価値観に乗って成功者となるならば、自ら古い価値観に与したことをいかに清算するかという人生の「原罪」意識を拭えるはずはない。
そうした葛藤について、瀬島氏は多くを語らずに逝った。これも心の問題だが、激動の時代を生きる我々にとっては、それが惜しまれる。
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