朝雲寸言2007/4/26付

日米ともに、銃による犯罪が大きな話題となった。日本では、選挙活動中の長崎市長が撃たれ、神奈川で銃を持った男が立てこもる事件があった。米国では、大学の構内で銃を乱射する事件があり30人以上が死亡する事件があった。
銃のあふれる社会は安全なのか、と聞けば、安全でないと万人が思う。では、安全でないから銃をなくすのか、安全でないから自分も銃を持つのかと問えば、日米で答えは全く異なる。
日本では、16世紀末の「太閤の刀狩り」以来、市民の武装は禁止され、今では銃を持つこと自体が悪いこととされる。一方、米国は、独立戦争を通じて市民が武装し、国と自身を守ることを当然のことと考えてきた。
米国では全人口に匹敵する2億丁の銃があって、毎年1万人が銃で死んでいるという事実を聞けば、イラクやアフガニスタンを連想してしまう。銃による死傷者の数をもってイラクを内戦というなら、米国も内戦だ。
イラクの武装勢力は治安が不安定だからこそ武器が必要だと主張しているが、そのかぎりでいえば、米国の銃規制反対論者の論理と変わるところはない。自国の銃社会を規制できない国が、他国の銃による暴力を取り締まろうとする努力そのものに矛盾を感じる。
米国が主張する自由と人権は、少なくとも先進国では、銃によって守られるべきではない。「政権が銃口から生まれる」というのは毛沢東語録だけで十分だ。