8/21日付
検証 岩手・宮城地震災派 順調だった初動 早期交代で疲労防ぐ 自治体とも連携密に 1カ月半に及んだ災害派遣任務をすべて終了、佐藤勇栗原市長(前方中央)の感謝の言葉を受け、災派部隊のしんがりで撤収する6飛行隊の隊員(8月3日、栗原市で) 地震で大きく地割れした道路を徒歩で被災地に急ぐ20普連の本隊。ヘリや車両が使えない場合は体力勝負だ 発災後、ヘリで被災地に急行、行方不明者捜索・救助のための資器材を手に現場に向かう22普連の初動対処部隊 「岩手・宮城内陸地震」から2カ月余、自衛隊の救援活動は8月2日ですべて終えたが、災害派遣が本来任務に加わった自衛隊にとって、今回の活動は様々な教訓を生かした災害派遣となった。新潟県中越地震などの経験をもとに初動時から後方支援部隊を同時投入、さらに不眠不休で行方不明者の捜索に当たる隊員の消耗を考慮、3日の活動で部隊を交代させるなど、これまでにない部隊運用も見られた。9月1日の「防災の日」を前に、今回の災害派遣を検証してみた。 両師団の境界で発災 1カ月半に及んだ自衛隊の「岩手・宮城内陸地震」災派は8月2日、宮城県が陸自6師団(神町)に撤収要請を出したことですべて終了。最後まで被災者の一時帰宅支援などに当たっていた6飛行隊は3日、栗原市で佐藤勇市長ら多くの住民の見送りを受けて神町に帰隊した。 6月14日の発災以降、現地に投入された3自衛隊の勢力は人員が延べ2万6290人、車両7950両、航空機606機。主な実績は発災直後のヘリなどによる被災者救出約400人、岩手・宮城での給水支援計638トン、入浴支援6950人、給食支援1万9560食、医療支援約140人、道路啓開は5個所・延べ1580メートルに及んだ。 最大震度6強の大地震は6月14日(土)午前8時43分に発生。震源地は岩手・宮城・秋田3県の境にある栗駒山(標高1628メートル)山ろくで、陸自にとっては9師団(青森)と6師団との境界に当たっていた。このため、3県のどの部隊がどのルートで被災地に進出するかが最初の問題となった。 幸運だったのは梅雨時期にもかかわらず、発災後しばらく好天が続いたこと。地震の発生も早朝だったことから、直ちに自衛隊の八戸、霞目、神町、松島、秋田飛行場などから航空機が飛び立ち、初動時に最も重要な偵察活動を迅速に展開した。 折木陸幕長が6月19日の会見で「天気がよく情報収集がスムーズに行えた。被災地が山間部のためヘリの効用が大きかった」と述べた通り、被災地が山間の孤立地帯にもかかわらず、多数のヘリによる救出活動も順調に進んだ。 現地には千葉・木更津や埼玉・入間から陸・空自のCH47大型輸送ヘリが進出し、警察や消防の関係者を運んだほか、ブルドーザーなどの重機や発電機といった重量物も次々に被災地に空輸、大型ヘリの威力を見せつけた。 作業3日で新戦力に 初動時の不明者捜索活動では、土石流で埋まった建物内で不眠不休の活動を余儀なくされるなど、隊員の消耗が大きかった。このため上級部隊の6師団は「駒の湯温泉」「行者の滝」などに投入した22普連、6戦大、6施大を、作業4日目の17日、44普連(福島)、2施団(船岡)などと交代させた。 これまでの災派では、地元と部隊の関係などを重視、同一部隊が長く現地にとどまることが多かったが、今回は一部の連絡要員などを除き、一気に新戦力に交代、疲労による作業推進力の低下を防いだ。 後方部隊も同時派遣 今回は初動段階で被災者の生活支援に当たる後方部隊も同時派遣された。夏場で飲料水や入浴のニーズが高いことが予想されたためで、東北方面隊は6(神町)、9後支連(青森)を初日から派遣、水道の止まった地域で巡回給水を行ったり、避難所で野外風呂を開設した。 関東からも1後支連(練馬)が現地に派遣され、野外風呂を開いている。 今回は初動時から自衛隊と自治体の連携がスムーズに進んだ。これは宮城県知事が防大出身の陸自OBというだけでなく、近年、県庁や市役所などの自治体が自衛隊OBを防災担当として採用、この結果、平素から防災訓練などを通じ両者の関係が密となっており、災派当初から両者の足並みがそろった。 これは、自治体と自衛隊の連携が未熟だった阪神大震災時の苦い教訓が、しっかり克服されつつあることを示している。 リモコン重機が威力 地震で道路が寸断された個所には6施大(神町)や346施中(岩手)など施設部隊が投入された。しかし梅雨期で地盤が緩み、2次災害の危険が高まったことから、今回初めて施設教導隊(勝田)が装備するリモコン式ドーザーや油圧ショベルが送り込まれた。 これは、数百メートル離れた地点から重器材を遠隔操作することで、決壊の恐れがある“土砂ダム”や、崩落が続く崖の下などでも安全に作業ができる最新装備で、自衛隊のハイテク器材が災派活動でも生かせることが証明された。 “地域ネット”も万全 今回の災派は朝の発災で天候も悪くなく初動は迅速に行われたが、もし雨などで空中視界が悪く、ヘリが飛べなかったら…。災害時では当然、そのような事態もあり得る。 4年前の「新潟県中越地震」では日没時の午後5時56分の発災とあって、夜間のヘリによる活動は上空からの火災確認などを除き、地上の被災状況はほとんど偵察できなかった。 この時、災派部隊の先頭に立った2普連(高田)が生かしたのが「地域ネットワーク」。これは隊員たちが震源地に近い地域の自治体職員はもちろん、自衛隊のOBなど友人・知人に分担して電話をかけまくり、詳しい被害情報を収集。自衛隊協力会の会員、部隊OB、新潟地連(現・地本)地方事務所職員らは「前線の偵察員」となって自力で自宅周辺を回り、家屋の倒壊や道路崩落状況などを逐一調べ部隊に通報した。 2普連はこれで被災地の状況を独自に把握。行方不明者の発生している地域に重点を置いて初動対処部隊を急派した。この間もOBや地連職員から道路状況などが伝えられ、部隊はそれらの情報を基に夜間のうちに現地に入り、夜明けとともに救出活動を開始した。 この対処方法は全国の陸自部隊にフィードバックされており、いざという時にはこれらネットワークによって詳細な被災情報の収集も可能となっている。ただし、山間部では携帯電話が通じないといった問題もあり、「衛星携帯電話」の導入などが課題だ。