米政府の職員が日本で研修する
「マンスフィールド・プログラム」
発案は林防衛大臣
米留学時に提案 連邦会議で法案成立
シーファー米大使(右)との会談でマンスフィールド研修発案の経緯を披露する林大臣(8月12日、防衛省で)
日米両国の協力関係推進に役立てようと、米政府の職員を日本に派遣、官公庁などで実務を研修させる「マンスフィールド・プログラム」の13期生6人が、9月から受け入れ機関の中央省庁などで1年間の研修を開始する。
平成8年から始まったこの制度でこれまでに研修を受けた米政府職員は75人で、帰国後は国防総省日本課長など、いずれも米政府・機関・軍の中枢で活躍しているが、この制度を発案して連邦法成立の契機を作ったのが米国留学当時の林芳正・現防衛大臣であることは、あまり知られていない。
米政府職員を日本で研修させるための米連邦法マイク・マンスフィールド・フェローシップ法は平成6(1994)年4月に成立、8年9月から毎年5〜8人が日本の外務、財務、経産、厚労、国交省をはじめ、日銀や東京都、国会議員事務所、民間企業などに派遣されている。防衛省(庁)自衛隊もこれまでに計6人を受け入れている。研修期間は2年で、最初の1年は米国で日本語と日本の政治・経済などの事前研修、あとの1年は日本の派遣先での研修に当てられている。
林大臣がこの制度を発案したのは、米ハーバード大学大学院特別研究生として留学していた当時の平成3年。この年11月、米上院の知日派として知られるウィリアム・ロス議員の事務所でアシスタントとして働いていたとき、議員から「日米関係に役立つアイデアを」と指示されてこの制度を提案。ロス議員は議会に大きな影響力を持っていたマイク・マンスフィールド元駐日大使に協力を求め、この法案を成立させた。
林大臣は翌年、父義郎氏の蔵相就任で一時帰国、蔵相政務秘書官を務めた後、6年にハーバード大ケネディ行政大学院に復学して同年卒業、7年の参院選に出馬、当選した。
研修制度は米国務省が所管、委託先のモーリーン・アンド・マンスフィールド財団が研修員の選抜、計画策定、経費支給に当たっており、研修員は国際貿易や環境保護の専門官、法律専門家、検事、特別捜査官、医師、検疫官、国際エコノミスト、陸海空軍将校など多岐に渡っている。いずれも帰国後は連邦政府職員として、その多くが日本関係の業務で活躍しており、日米関係を実務面で支えている。
8月12日、林大臣は防衛省を訪れたシーファー駐日米大使との会談でこの制度を提案したいきさつを披露。15日には14期研修員に選ばれた横須賀基地の米海軍中佐が語学研修のための帰国を前に防衛省を訪れて大臣に挨拶するなど、林大臣が「マンスフィールド・プログラムの生みの親」という認識は米側ではよく知られているようだ。