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 前事不忘 後事之師

第60回 映画『鬼滅の刃』を観る
       ―この世のことは全て〝相対的〟

 『鬼滅の刃』第1巻(集英社刊)

 映画『鬼滅の刃』が大ヒット中とのことなので観に行ってきました。簡単にストーリーを要約すれば、鬼退治の修行を終えた竈門(かまど)炭(たん)治郎(じろう)という少年が鬼殺隊に入隊し、友人たちと無限列車に乗り込み、強力な力を持つ鬼たちを撃退するという話です。

 私は原作の漫画は読んでいませんので、評価する資格は無いかもしれませんが、この映画になぜ多くの人が集まるのか考えてみました。

 この映画の魅力はそのクライマックスの場面に集約されているのではと考えます。そこでは竈門少年が属する鬼殺隊の最高位の地位である柱の一人煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)が凄まじい力を持つ猗窩座(あかざ)という鬼と生死を賭けた戦いを行います。煉獄杏寿郎は猗窩座からその実力を認められて鬼にならないかと誘われますが、子供時代に亡き母から弱い人のために悪と戦う人間になりなさいと言われたことを忘れずに猗窩座と必死の戦いを繰り広げ、猗窩座を撃退しますが命を落とします。

 コロナ禍でやりたいこともできずにストレスが溜まる状況が長期にわたり継続している中、正義の象徴煉獄杏寿郎が悪の象徴猗窩座を命がけで倒そうとする、その正義感、爽快感に人々が引き付けられるのではないかと想像します。世界で猖獗(しょうけつ)を極めている感染症が鬼であり、その鬼を撃退したいという人々の願いが込められているようにも見えます。

 他方で、この『鬼滅の刃』という映画は、他の多くのエンターテインメント系の映画がそうであるように、世の中を善と悪の二元論で見て、善が悪を倒すという勧善懲悪(かんぜんちょうあく)ものです。人の心には悪が倒されるのを見たいとの願望があるので、世界を善と悪に分けたいという気持ちは理解できますが、現実世界は、この映画とは異なり完全なる善とか完全なる悪というものは極めて少ないか、あるいは存在しないと私は考えます。

 19世紀、20世紀を生きた「知の巨人」ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーは『職業としての政治』の中でこんなことを言っています。

 「この世がデーモンに支配されていること、善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは人間の行為にとって決して真実ではなく、しばしばその逆が真実であること。これが見抜けないような人間は未熟児である」

 ヴェーバーと同様な議論は、戦争と平和についても可能です。ほとんどの人間は平和と戦争を完全に違うものと区別して平和が善、戦争を悪と見なしており、悪である戦争が平和をもたらすとの考えを受け入れません。しかしながら歴史を仔細に分析すれば、戦争を奨励するわけではありませんが、戦争を選択せざるを得ない局面があることも事実ですし、戦争が戦後の平和を生み出しもします。

 1939年時点の英仏の政治指導者の立場になって考えてみましょう。彼らは、第1次大戦により、戦争がとてつもない損害を人々に与えることをいやというほど思い知らされていたので、1939年3月にヒットラーがチェコを侵攻するまで、ヒットラーの第三帝国は戦争という手段でしか止められないことを認めようとしませんでした。しかしながら、この時点になると、戦争は残された最後の手段でした。もちろんこの時に「何もしない」という選択肢もありましたが、それは西側諸国がヒットラーに東欧を差し出し、「我々もそれを望んで黙認している」というメッセージだと勘違いされる危険がありました。

 それでもヒットラーとの戦争を選択した英仏の指導者を非難することは可能ですが、彼らの置かれた立場を考慮すればやむを得なかった選択だったと思います。またとてつもなく大きな犠牲がありましたが、戦争により決着がつき、戦後の平和が構築されたことも否定はできません。

 クラウゼビッツは「戦争は他の手段をもってする政治の延長である」と主張しましたが、このことは戦争と平和は政治というコインの表と裏にすぎないことを示しているように思います。

 私はこの世のことは、全て〝相対的〟であり、世界は白と黒ではなくて全て灰色だと考えます。映画を観てそんなことを考えましたが、つまらない人生経験を積んだ結果、純真だった子供時代の白い心のキャンパスが汚れただけなのかとも感じています。

鎌田 昭良(元防衛省大臣官房長、元装備施設本部長、防衛基盤整備協会理事長)

 

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