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 前事不忘 後事之師

第54回 国益を貫く覚悟 ――二人のフランス指導者

 フランスの国家安全保障で最も重要な「対ドイツ政策」において、考え方に決定的な違いがあったリシュリュー枢機卿(右)とナポレオン3世

 1871年、普仏戦争でプロシアがフランスに圧勝したことを知った、その後英国首相となるディズレイリは、「これはフランス革命を凌ぐ大きな政治的事件だ」と述べました。それまでばらばらだった中央ヨーロッパにプロシアを中核とする統一ドイツが成立し台頭すると、どうなるのかを見通した発言です。第1次・第2次世界大戦の主因の一つがドイツをヨーロッパ内に安定的に位置づける試みに失敗したためだったことを考えれば、ディズレイリは慧眼(けいがん)の持ち主でした。

 ディズレイリから遡ること250年前、ドイツがばらばらな小国に分裂し、一国によって支配されない状態が自国にとって有利であることに気づいていた人物がいました。フランスのルイ13世下の宰相リシュリュー枢機卿です。

 リシュリューが宰相を務めていた頃のヨーロッパでは、現在のドイツを舞台に三十年戦争(1618年~1648年)が行われていました。この戦争は周辺国を巻き込むカトリックとプロテスタントとの激しい宗教戦争でした。当時のフランス王朝はカトリックでしたし、その宰相のリシュリューはカトリック教会の枢機卿という立場でしたので、カトリック側の神聖ローマ皇帝フェルジナント2世を支援すべきでしたが、プロテスタント側を支援します。神聖ローマ皇帝がオーストリアなどに加えてドイツを支配するのはフランスの脅威となると考えたからです。宗教の力が大きかった時代、これは大事件でした。

 リシュリューはフェルジナントを抑え込むことに成功し、中央ヨーロッパは二百年以上にわたり、300以上の君主国に分裂されたままとなりました。その間、フランスは力を蓄え、リシュリューの死後ルイ14世の時代にヨーロッパの大国となります。

 19世紀後半、ドイツ統一が行われた時のフランスの指導者はナポレオンの甥ナポレオン3世でした。彼はナポレオン戦争後にヨーロッパに安定をもたらしていた「ウィーン体制」は自国の拡張を阻止するものと考え、それに挑戦します。彼はまた青年期に反オーストリアのイタリア統一運動に参加した経験があり、他国に対しても民族自決の擁護者でありたいとの信条を有しており、ドイツの統一を恐れる一方、ドイツのナショナリズムにも共感を覚え、何がフランスの安全にとって最重要な基本要素であるか掴んでいませんでした。

 プロシアとオーストリアがドイツの覇権を求めて争った普墺戦争ではオーストリアが勝利するものと見誤り、さらに普仏戦争では、自らがプロシア軍に囚われるという屈辱を味わいます。

 国際政治学者でもあるキッシンジャーはその著書『外交』の中で、「ナポレオン3世は自らが多分に原因を作った動乱の中からドイツという国が誕生して、ヨーロッパにおけるフランスの優位を実質的に終焉(しゅうえん)させた時、突如自分が孤独となっていることに気がついた」と書いています。

 私は、リシュリュー枢機卿とナポレオン3世には、二つの決定的な違いがあったと考えます。

 第一は、ドイツのばらばらな小国群は他国から攻撃されれば結束するが、利害の不一致から他国への攻撃には容易に結束できないので、フランスの安全にとって有利だという基本原理を真に理解していたかどうかという点、第二は、その基本原理を自身が持つ政治的・宗教的信条、さらに道徳をも犠牲にして貫徹することができたかどうかという点です。

 リシュリューは、国家の宰相として宗教や道徳も国益追求のための基本原理に従属させましたが、他方、ナポレオン3世は、民族自決の信条を捨てきれず、その結果フランスのライン国境が安全であるとの保障が消えました。

 国の指導者には、何が自国の安全にとって基本なのか見抜く能力も必要ですが、より重要なことは、その基本原理に自らの信条を従わせる強い自己制御力があるかどうかです。国益の追求のためとは言え、この自己制御力には悪評がつきものであり、悪評に耐える「覚悟」が必要です。

 リシュリューの死の知らせを聞いた当時のローマ教皇は、「もしも神が実在するなら、リシュリュー枢機卿は神の尋問に答えなければならないことが多々あるであろう」と言ったと伝えられています。

鎌田 昭良(元防衛省大臣官房長、元装備施設本部長、防衛基盤整備協会理事長)

 

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