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 前事不忘 後事之師

第40回 それしか知らない者は、それをも知らない

 英国防大学の講義でよく引用される雑誌『エコノミスト』

 今から20年以上前のことですが、イギリスの国防大学に留学しました。たまたまその年の5月にイギリスでは総選挙が行われ、労働党のトニー・ブレアー政権が誕生。その選挙期間中、ブレアー党首が記者に最優先課題は何かと聞かれ、「Education(教育),Education,Education!」と繰り返す場面がテレビで放送されていました。翌日、国防大学の同僚に聞くと、「英語の読み書きができないイギリス人がたくさんいるのだ」という答えが返ってきて驚きました。

 翻って、我が国を見れば、日本語の読み書きができない人間は、ほとんどいません。我が国でも最近、格差が大きな問題になっていますが、日本は中間層がしっかりしていて、国民総体として相応の教育水準が維持されています。この点こそが我が国の強みであり、日本が得意とする物作りのベースであるように思います。

 イギリスの国防大学の講義では、しばしば『エコノミスト』という雑誌が引用されることがありました。私も拙い英語力で読んでみました。全世界で生起する事象を2週間ごとに分析しているレポートのような雑誌ですが、読んでみると、その客観的な分析力、深みのある内容に驚きました。主要国で生起している事柄のみならず、アフリカや中央アジアなど普段あまり注目されていない地域で生起した事柄も正確にカバーしています。

 日本にもいくつか雑誌はありますが、残念ながらこの水準の雑誌はないと思います。イギリスには、こうしたレベルの記事を書くライターがいて、またそれを編集する力のある編集者がいるのでしょうし、一番重要なことは、知的水準の高い雑誌を読もうとする読者層が存在するということです。言ってみれば、知的エリート層の存在です。日本には良い意味でのエリート層が存在するのか私には分かりませんが、政治、経済、安全保障などを考える上でこの両国の違いは大きいと感じました。

 私は、この時以来、「日本にいるだけでは日本のことは分からない」と考えるようになりました。どこの国でも良いのですが、外国にそれなりの期間、滞在・生活して外から日本を見て、比較することがとても大切です。日本に留まっていることの弊害は、日本で行われていることは他国でも当然のことだ、と錯覚してしまうことです。自らを「相対化」して見る力を養うことが重要なのです。

 そんなことをずっと思っていたところ、本年2月に五百旗頭(いおきべ)真・前防衛大学校長が書かれた日経新聞「私の履歴書」の連載の中で、「それしか知らない者は、実はそれをも知らない」という言葉を見つけて、私が考えていたことは、これだと気づきました。五百旗頭先生の場合は、ご自身の研究者としての最大関心事項である戦後の日本社会を戦前の政治との「対比」において捉えようとされたとのことで、戦後日本を測定する「客観的なものさしを歴史に求めた」とおっしゃっておられます。そのことしか知らなければ「対比するものさし」がありませんので、そのことを客観的に見ることができないということなのだろうと思います。

 正直言えば、私にも安全保障、軍事の専門家であるという多少の自負がありますし、国際軍事情勢や戦略についての基礎知識ぐらいはあると思っています。しかしながら、五百旗頭先生のこの言葉をよく噛みしめてみると、それだけでは駄目なのだと反省しました。安全保障や軍事を「相対化」できる何か――それは政治や経済の知識でも、あるいは文学、芸術、歴史などでも良いかもしれません――を知っていること、それが重要なのです。

 ちなみに、昭和史の研究家である保阪正康氏は、旧日本軍の軍人の多くが小説、文学書を読むことなどは軟弱な行いであり、全てを「実学」の中で学べば十分と考えていたと述べ、そうした人格形成が軍、ひいては国家を存亡の危機に導いたと書いています。

鎌田 昭良(防衛省OB、防衛基盤整備協会理事長)

 

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