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 前事不忘 後事之師

第29回 「良き人」とは ――手段に潜む「悪」

 マックス・ヴェーバー著『職業としての政治』(岩波文庫)

 かつて、ある女性から「良き人を尊敬します」と告げられたことがあります。私は、良き人と見なされなかったのだろうなあと想像しながら、その時以来、「良き人」とは何なのかと考え続けています。常識的な答えは、誠実で正しい行いをし、悪だくみに加担しない人ということでしょう。

 しかしながら、何らかの形で社会に関わり、社会正義の実現に貢献しようとの志を持つ人を前提とするならば、良き人の定義は、それほど単純ではないように思います。

 社会正義を実現しようとするなら、必ずそれを実現するための「手段」が必要です。手段の検討をせずに正義(目標)を唱えるだけの人間は、単なる無責任な夢想家・評論家に過ぎません。問題は、「手段」に手をつけようとする途端に、大なり小なり「悪」に手を染めざるを得ないということです。

 一つの例として、現在の我が国の安全保障上の喫緊の課題になっている北朝鮮の核開発問題を取り上げます。北朝鮮の国防上の立場からは、違うのかもしれませんが、北朝鮮の核開発を阻止することは、北東アジアの平和と安定のために必要ですし、正しい目標です。しかしながら、北朝鮮がやすやすと核を放棄することがないのであれば、現実的な選択肢は二つしかありません。一つは、北朝鮮を軍事攻撃して、強制的に核兵器を排除するか、あるいは外交交渉の中で、北朝鮮に核放棄に見合う経済的なアメを与えるかのどちらかです。前者であれば、戦争という「暴力手段」を使い、多くの死傷者が出る恐れがありますし、後者であれば、抑圧的で非人道的な体制存続に手を貸すことにつながります。

 どちらの手段も、北朝鮮の核開発阻止という大きな正義の実現のための「コスト」と言ってしまえば、それまでですが、倫理的に突き詰めれば、「悪」と言わざるを得ないと思います。

 この目的と手段との間の「善」と「悪」の葛藤の問題は、大昔から偉大な宗教家や思想家、あるいは革命家において議論され、思索されてきた問いでした。簡単に結論が出るような問題ではありませんが、19世紀、20世紀初頭を生きた「知の巨人」であるドイツの政治・経済・社会学者マックス・ヴェーバーは、その著『職業としての政治』の中で、このように述べています。

 「この世がデーモンに支配されていること。そして政治にタッチする人間、すなわち手段としての権力と暴力性とに関係をもった者は悪魔と契約を結ぶものであること。さらに善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、人間の行為にとって決して真実ではなく、しばしばその逆が真実であること。これが見抜けないような人間は、政治のイロハもわきまえない未熟児である」

 これに続けて、ヴェーバーは、要約すれば、正しい目標だけを叫び、それが実現できない理由を世間のせいにするような〝ロマンティックな法螺(ほら)吹き〟よりも、「こうするよりほかはなかった」と言って、目標実現のための手段に手を染め、そのことの責任を引き受ける"成熟した人間"に測り知れない感動を受けると述べています。

 他方、ヴェーバーと同じドイツの哲学者であるニーチェは、「お前が永いあいだ深淵をのぞきこんでいれば、深淵もまたお前をのぞきこむ」と言っているそうです。正しい目標のためとは言え、悪に手を染めれば、悪の深淵に飲み込まれる大きな危険はありますが、その危険から逃げることなく、目的を実現しようとする強い覚悟を持つ者、それこそが真の「良き人」だと私は思います。まあ、こんな考えだから私は「良き人」と思われなかったと自覚しています。

鎌田 昭良(防衛省OB、防衛基盤整備協会理事長)

 

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